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長崎編: 日本二十六聖人殉教地 

長崎駅から徒歩10分くらいのところにある、日本二十六聖人殉教地(西坂公園)へ。少し坂を登って行きますが、当時は海に面した岬のような形だったらしいです

なぜこんなことが起きたのか、経緯は複雑で長くなるので省略・・
フロイスの石碑も
耳たぶを切られ、関西で引き回され、歩いて長崎までやってきた26人。うち3人は子供

執行人の寺沢半三郎はキリシタンに同情的でした。捕えられた一人、三木パウロとは友人で半三郎は辛くて泣いたほどだったそう。半三郎は、神父に「無罪であることは知っているが、秀吉の命令で従わなければならない」と詫びます。また12歳のルドビコ茨木を助けたいと思い、棄教して自分に仕えるなら助ける、といいますが、ルドビコは「束の間の命と永遠の命を交換することは意味のないことです」といって断ります。

神父は、子供たちが恐怖で発狂しないかと思い、あらかじめ十字架の上で讃美歌を歌うように指示していました。子供たちは「もう歌ってもいいですか?」と聞き、槍を刺される最期のときまでずっと歌い続けました。他の人たちも、最後まで残された家族を心配し、十字架上で民衆に説教したり、祈ったり・・その様子がレリーフに刻まれています。みんな恐怖に怯えたりせず喜んで死んでいったので、不思議に思われこの処刑をみた数人はその後キリシタンになったそう。

26人の殉教をはじめとして、その後この場所はキリシタンの処刑場になりました。少年使節の中浦ジュリアンもその一人。ジュリアンの亡骸は火葬され灰にされて長崎の海へ捨てられました。

ここのすぐ横に日本二十六聖人記念館、聖フィリッポ西坂教会があります

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