七月二十四日は河童忌

今年は芥川龍之介没後九十六年。
三十年以上前、大学の卒業論文のテーマに芥川の『地獄變』を選んでから、作品を研究する前にまず芥川龍之介という人間を研究した。
雑誌の追悼号、友人・知人が著した回想録、評伝の類を読みあさった。
図書館での閲覧や借りて読むことだけでは満足できず、古書店に足繁く通っては、なけなしのバイト代や小遣いをはたいて本を買いあさった。

卒論のテーマに選ぶ作家は芥川の他に太宰治、坂口安吾を候補に挙げていた。大学図書館でその三人にかかわる本を書庫から取り出してめくりながら、誰にしようか考えていたところ、ある本の中の絵に目がとまった。
画家・小穴隆一の筆に成る、芥川龍之介のデスマスクだった。
それまで芥川龍之介に抱いていたイメージは、神経質で、頭が良すぎて悩んで自殺した作家というもので、顔は教科書に出てくる例の顎を手で支えた眼光鋭い写真しか知らなかったのだが、そのデスマスクは色味こそ土気色の暗いトーンだったものの、何とも穏やかだったのである。
死んで初めて解き放たれたような顔。こんなに見事に描いたのは誰だ?
小穴隆一。親友だったらしい。「君とは藝術の事の上では夫婦として暮してきた」と芥川は言ったらしい。この孤独そうな神経質そうな人に、こんな友人がいたのか。この人だけが知っていた姿があるかもしれない。芥川はどんな人だったのだろう。
・・・・・・などと考える頃には、私は太宰と安吾に関する本をみんな書庫に戻していた。頭の中にはもう芥川しかいなかった。

そこから、卒業論文を書き終えてもなお芥川への愛着は薄れることがなく、社会人になっても暇さえあれば古書店に足を運んだ。
芥川の死んだ年齢をはるかに超えてしまった今も、生活の中で何か嫌なことがあって心を浄化したいときは、小島政二郎の『眼中の人』を読む。(尤もこの作品は小島が、都会的で聡明で優しい芥川の洗練された文章への崇拝から、田舎臭くて率直すぎて肌が合わないと感じていた菊池寛の、圧倒的な人間力に裏打ちされた文章に傾倒していく話なのだが)
そして、法哲学者・恒藤恭の『𦾔友芥川龍之介』を読む。理知と叡智で結ばれた、秀才同士の理性的で美しい友情にふれて、心が洗われる。

回想録を読んでいると、芥川のことを「礼儀正しく、やさしい人」と評している記述をよく見る。客人に対する振る舞い、友人や後輩たちへの面倒見のよさは周りの人に強い印象を残したのだろう。
周りに気を使い、養子の身で家人にも気を使いながら、鶴のような痩躯に鞭打って彫心鏤骨の創作を続けていたのである。
彼が自死したのは満三十五歳。作家としてはたくさんの名作を生み、文名を馳せたが、もっと夫として、父親として、成熟する時間を過ごしていたらと思うと、僭越ながら少し残念な気がしないでもない。
そして、もう少し体が丈夫であったら。知人への手紙の中で、今欲しいものは動物的エネルギーだと書いた芥川は、どれほど健康な体で原稿用紙に向かうことを欲しただろう。体力があれば、もっともっと長いものも書きたかったかもしれない。

河童忌は毎年、とても暑かったそうである。
今日もまた猛暑の中でこれを書いている。
昭和二年と令和五年の暑さは違うけれども、今日は暫しエアコンを止めて、その日の暑さを偲ぼうと思う。





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