回収のターン(表)

近ごろ「学び直し」ブームというのが来ているようだ。
学び直したい動機やジャンルは人それぞれだろうが、勉強、スポーツ、芸術などいろんなことを、昔よりはるかに楽しんでやっている。
私も昔は苦痛だったピアノのレッスンに嬉々として通っている。もちろん子どもの頃の方が格段に指は速く動いたし、今は中近両用のメガネがなければ楽譜も読めないが、機嫌よく続けてもう四年以上になる。
それから、突如思い立って中学生用の計算ドリルを買ってきて、因数分解だの二次方程式だのを解いてみたりしている。たびたび間違うけれど、それも楽しい。
そのうち、英語や世界史も学び直したいと思っている。

人間は、次々と新しい関心の対象を見つけたいという気持ちと同じくらい、過去の自分に収まりをつけたいという気持ちを持つのではないだろうか。
昔できなかったこと。しなかったこと。行けなかった場所。行かなかった場所。言えなかったこと。言わなかったこと。忙しさに紛れてほったらかしにしてきたいろんなこと。
あの頃わからなかったことが、今の自分の頭と気持ちでやりなおしてみたらわかるかもしれない。人生経験を積むのと引き換えに若さや身体能力は衰えたけれど、あの頃とは違った味わい方ができるかもしれない・・・・・・と、生きることに一生懸命で、とっ散らかしたまま放置してきたものを、回収したくてたまらなくなるときが来るのだ。
私にとって今がそのときかもしれない。

昔よりは少なくなったが、今でも年賀状を三十通ほど出している。
書くのは毎年クリスマスの頃と決めている。年賀状は郵便局やコンビニのカタログを見てつれあいに発注してもらい、宛名もつれあいにパソコンで印刷してもらう。私がするのはひとりひとりに何か一言ずつ書き加えることだけだ。
仕事をしていた頃は今よりもっと面倒くさがりで、仕事以外のあらゆる ” 雑用 ” が煩わしかったので、その一言書きさえも「お元気ですか」「そのうちお会いしたいですね」と、毎年同じようなことをお義理に書くだけだった。

それが昨年末、飲み会にもカラオケにも行っていないのに何故かコロナウイルスに感染してしまい、クリスマスの翌日から仕事を休まなくてはならなくなった。体は元気になっても家から出られない日が続き、図らずも年賀状を書く時間をたっぷりとれることになったわけである。
私は年賀状を出す相手ごとに、いつもの言い捨てるような一言ではなく、心をこめて、懐かしい気持ちや久しぶりに会いたい気持ち、健やかに過ごしてもらいたい気持ちを書き添えた。書いていくうちに、その人とともに過ごした時代やその頃の思い出がどんどん甦ってきた。
すると嬉しいことに、その年賀状をきっかけにして幾人かとメッセージのやりとりが復活し、会うこともできた。
思えばこれも、そのときはキラキラしていたはずの過去のひとかけらずつを、積み上げられていった時間という堆積物の底の方から回収する作業だったような気がする。

私は今、回収のターンを楽しんでいる。そして次のターンも、すぐ後ろに待ち構えている。「新たに熱中できるものを見つける」ことだ。
予定している最後のターン「人生を肯定して穏やかに逝く」を遂行するための道はまだまだ続く。


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