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②結婚から転勤、そして治療。


#流産
#金沢転勤  
#2度目の流産

#不妊治療  がスタート


ここでダメなら諦めるつもりで
さらに
#不育症  ともわかる。

#ヨガとの出会い 
#穏やかな自分に出会う


#ネガティヴループから学ぶ 
#ネガティヴからポジティブへ   

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結婚

結婚に構えることもなく、社会人3年目。
タイミングだなぁと早々に結婚。

夫の海外思考、幼少期の転勤、病気を乗り越えた経験から生きる力が逞しいこと、お互いの生い立ちと価値観の似た部分が決め手となりました。

最初の流産



新婚3ヶ月目には妊娠が発覚。

まだ胎嚢がわかるくらいだったので、
初診から心拍確認まで2週間。

心構えもなくて未熟な私は怖さと、敏感に変化に反応している身体の変化に怯えていました。

何の知識もないまま‘妊娠大百科‘をまずは購入、
次の診察までにだんだんと実感して、赤ちゃんを愛しく感じ始めました。

胎児が育っていたら見えるはずの心拍確認の日、病院では先生に”見えないなぁ”言われるのです。
確か再び1週間位の保留。

しかし嫌な予感通り赤ちゃんは育っておらず、
稽留流産と判明。
掻破手術をしなくてはならないと言われました。

これまで病院なんて無縁、手術って。。
怖くて仕方がない気持ちでしたが手術を終えて
麻酔から目覚めた瞬間、見えた夫の顔や景色は忘れません。

子供は、まーできたらできたでよいかなー、
なんて呑気に新婚で話していた私に起きた
ショッキングな出来事でした。


想像もしていなかった、知識の無かった流産と手術は私にとり、精神的にダメージとなりました。

さらに悪阻が早くに出て妊娠を経験した事から、
きっと母性が湧いてしまったのでしょう、
赤ちゃんが居なくなった悲しさ、
私の身体がどこか悪いのではないか、また赤ちゃんが欲しい、と強く思うようになっていくのです。

金沢転勤



その後、金沢に転勤で国内移動。地方都市に暮らした経験がなかった私は、
どこか東京に戻りたい気持ちを捨てきれずにいました。
友人、仕事、まだまだ割り切っていなかったのでしょう。

雪国で冬はどんより晴れない毎日。
新しい生活を楽しもうとするよりは、1人で毎日時間の流れが遅くて、
夫の帰りを待ちながら、北陸特有の空をうらめしく眺める事、こもりがちな毎日。

今思うとそんな生活、心身どちらにも良いわけないのですが・・
割り切れないまま、金沢生活を送っていました。

唯一ウェディングモデルの仕事だけは、引き続き
金沢から東京へ戻ってたまに活動していました。

愛猫を飼い始めたのも金沢でのことです、心の拠り所になっていました。

同じように転勤族の妻の集まりで友人もでき、2年目からは金沢での生活を楽しみだしました。
外との繋がりを持ち始め、次こそはちゃんと妊娠してママになる、と思う気持ちでした。

2度めの流産

ところがそんな気持ち裏腹に、結婚4年目頃また流産をしました。

結婚が早かった私の後から、だんだんと友人らも妊娠や出産をしだしていました。

私はますます気持ちに余裕がなくなり、
友人や知人の年賀状に赤ちゃん写真が掲載されていると、ズキンと胸の奥がささくれだつ感覚。

気持ちが揺れる、悲しくなる、それを考えたり、気にする自分が嫌でした。

自分を責めてしまい、情けない私、私なんか赤ちゃん産めないし、女じゃない。と自己否定。

2度目の流産がきっかけで、不育症について知ることになるのです。
当時は2回までは偶発的であり、3回以上繰り返したら、不育との話でしたが、調べたければ調べられるとのこと。

検査の末は不育症であり、
また流産を繰り返しホルモンバランスもおかしくなり、不妊にもなりはじめていました。

このタイミングではまだまだ治療の序章でした。

金沢から帰任

金沢生活4年が過ぎ、金沢から帰任が決まり、
再び夫は東京勤務へ。

そこからは私は治療専門クリニック通いスタートしました。

次は海外転勤だろうと言われているために、
海外転勤までのタイムリミットだと思いながら
取り組むことになりました。

夫からは、『子供はいなきゃ居ないで、2人が幸せならよいじゃないか』と何度か言われましたが、
私がそれは嫌だと強く感じ、夫をパパにしてあげたい、私のせいだ、女なのに産めない、といつも感じていたように思います。

平行して東洋医学の鍼灸に頼って、この辺りから私の悪循環が変わり始めました。

ヨガを知る

ヨガとの出会い、ホットヨガではない、ヨガ。
インド帰り🇮🇳の先生との出会いでヨガに対してのイメージが変わり始めました。

外ヨガを体験。なんて心地よいのか、と心身が解けていく心地よさを知るのです。

シヴァナンダヨガの一連の動き、声かけに
癒されていく自分。これ、私好きだなぁと心から思う時間でした。

習っていた先生に紹介されて出かけたスタジオのインド人の先生のヨガでは、最後のマントラで、涙が溢れて止まらなくなった事が。

なぜ気持ちいいのか、なぜ安らいだのか、
今なら十分に理由もわかるのですが、当時は涙がなぜこんなに出るのか驚きでした。

まだこの頃は、ヨガが私の趣味っていえるようになるかなーって位の感覚でした。

この頃の私は体も硬いし、ポーズをとると、
筋力もなく足が🦵プルプルしちゃうような人。

けれど、目を閉じて感じる身体の心地よい重だるさ、解放感。

それがやがては、こうしてインストラクターになるのですが・・。笑

夫には後々言われたのですが、ヨガしている時は、かなり気持ちも安定していたよねと言われるほどに、雰囲気に違いがあったようです。

③に続く。


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