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好きなモノやヒト集めていけ〜(5月4日の日記)

泣いちゃうな。

これ歌ってるのがわたしより若いアーティストってのがすごい。側から見たらどう考えても成功してる彼女も挫折した人間の気持ちとかわかるのかな、でもわかってるからすごいよな。

気まぐれに歌歌ったりしてたけど、今日一日いろいろやってて、なんか作業してたら頭スッキリしてきた。

作業の記録としては、排水口という排水口を掃除しまくった。途中歯ブラシを排水口に落としてしまったが、まさかの前職の知恵が働いて無事に取り出せた。人生で初めて前職の経験が役に立ちましたわ。ゲラゲラ。

半日有意義な日はもう半日は無になってしまうらしく、午後はまた適当に歌歌ったりスマホをポチポチしてたら暗くなっていた。

わたしが最高に楽しくて幸せなのは好きなものや人を見たり、その大好きなモノを考えてるときですわ。

なんか、自分にも何かできるって信じたかったんだよな。何かって何かもわからないまんま。だからnoteを始めたんだろうし。

だれかが、「なにかを作り出せる人とだけ話がしたい」みたいな言葉を発していて、それがきっと何もできないわたしを苦しめていた。自分もなにか作り出せると思いたかった。実際は、何もできないんだよね。信じたくなかったんだわ。ガハハ。

かなしいね。

かなしいか?

そんなことないだろ。

土井善晴先生が、食べることもまたクリエイティブだ、というようなことをツイッターに書かれていたけど、それをわたしは都合よく、どんなモノも「享受すること」もまたクリエイティブなんだと捉えることにした。そしたら気が軽くなった。

小さいころから、人から評価されることが一番だと思ってきちゃってたし、だから勉強もがんばってた。人の目を気にしいなわたしはきっとその気持ちが人一倍強かったと思う。いい成績を取る、絵で賞を取る、自分はいろんなことができるようになって何がしたかったかって、きっと人に認めてもらいたいだけだったんだな。

人に認めてもらうことでしか自分を認めてあげられなかった。

そんなのメチャクチャ悲しいな。

そう必死に頑張ってきたこれまでのわたしがいるから、こんなご時世でも特に苦しい思いもせずに生活ができているのは確かなんだけど。人から認めてもらうことはたしかに大切だ。まあでも、認めてもらうためのアイテムはこれまでのわたしが必死にかき集めてきた。

だから、もういいんじゃなかろうか。もう、誰かに、わたしを認めてください!って思うのは、いいんじゃないか。これまでのわたしの頑張りで、いまのわたしを生かしておけるだけのお金をあげられると社会に認めてもらえてるんだから。

人の顔ばっか見てたら疲れちゃうよ。てか疲れたから転職もして、ひとりで生きてるんじゃん。わたしがよければいいじゃんね。ちゃんとひとりで生きてる。他人様に迷惑かけないで生きてる。十分誇れることだと思う。

誰に愛されてるかじゃなくて、何を愛してるかの方がはるかに自分だよな〜。話飛びました。

というか、オタク気質なので、もともと好きなものを愛しまくるの得意なんですよ。

なんか、自分を愛してもらうためにいろいろ足掻いていたのがアホっぽくなってよかった。この曲が伝えたいのはそういうことじゃないかもだけど、わたしにとってはそういう曲になった。

他人ありきの承認欲求に囚われてジタバタするより、好きなものを命かけて愛しまくりたいね。もはや好きなモノがわたし自身だと言えちゃうくらい愛しまくりたいね。

そういう人生にしていこうと思った日でした。本当にスッキリしてよかった。ステイホームサンキュ。ちゅ。

昨日ここまで書いて寝てた、幸せ者かよ。


おしまい

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