大人になるのむず(0910日記)

別途感情の赴くがままにnoteをしたためましたけど、推しこと戸次重幸さんに二人目のお子さんがお生まれになったとのことで、オタク泣いてしまいました。

最近感受性のアンテナがおしまいになっているのか、ちょっとしたことでも「愛じゃん・・・・」となって目がうるうるしてしまう。苦しくて泣くよりはよっぽどいいけど、さすがに泣くのは体力を持っていかれるのでここぞという時だけにしたい。まあそんな泣いてはいないんですけども。

結婚ラッシュの第一波がくるよ、とよく言われる年齢に差し掛かってはいるのだけど、いうほどラッシュじゃない。どちらかというと「キャリア」とかそういうヤツを重視する友人の方が多くいる育ち方をしてきたから、というのも関係しているのかもしれない。私は見事にレールから外れてしまった側の人間なわけだが、みんなはまだレールの上を順調に走っているわけで、高校、大学あたりで出会った友人の多くはそれぞれに仕事に軸足を置いて頑張っているようだ。

と言いつつ、去年5歳からの幼なじみが結婚した。

私は彼女の結婚を間近で見て、珍しくも人生について考えた。中2以来かもしれない。でも今度のはかなり具体的な人生だ、どちらかといえば「将来」かもしれない。

人の結婚式でたら結婚願望生まれるっていうよ〜!なんてよく友人から言われたりして笑って流していたものだったけれど、結果的に私は彼女の結婚を見て結婚願望が完全になくなった。

彼女は今幸せそうに暮らしているし、素敵なパートナーに恵まれてもいると、素直に思っている。だから結婚というものに悪いイメージができた、とかそういう話ではない。

「結婚することになった」

去年そんな話を聞かされたときは私もバリバリ仕事をしていて、ど早朝からど深夜まで仕事をこなしていた(正確にいえばこなせてはいなかった)。もうその頃にはかなり限界を迎えてはいたわけだけれども、なんとか命辛々生活は続けられているような状況だった。

実際に彼女がその結論を出してからもずっと私とは連絡をとっていたにもかかわらず、いつ決まったの?と聞いてみたら、半月前との話だった。私は冗談半分で、すぐ教えてくれても良かったのに!とLINEを送った。

「〇〇仕事大変でかわいそうだったからいえなかった」

そんな返事だった気がする。履歴消えちゃってるから正確な言葉は覚えていないんだけれど、仕事をする機械としてしか自分の体を動かせなかった当時の自分が軽くショックを受けるくらいの響きはもっていた。

人から不幸にみられるのってこんなにしんどいのかーと思った。

別に彼女は私の人生これっぽっちも否定なんてしていないし、彼女はそもそもとても優しい人だからそんな意味なんてその言葉には含まれていないということも推測はできるけれど、それでも、20年ずっと笑い合ってた友人に哀れみの目で見られていたと脳がバグってしまって、出先のトイレに引きこもったのを覚えている。

「なんだよ〜ひど〜!笑」

と返すのが精一杯だったけれど、当時の精神状態を考えると割と頑張ったほうだと思う。

哀れまれているわたしは生活があるから仕事をやめられなくて、幸せな彼女は旦那さんが休んだらと言ってくれたからという理由で寿退社した。

何を休むんだよ、と思った。

健康な時間に会社に行って健康な時間に会社から帰ってきて、家族と一緒にご飯食べて週二日ちゃんと休んで。

これ以上何を休むんだよ、と思った。相当性格が悪かったなと思う。

大学で上京したのも自分の意思で、Uターンもせず東京で就職をしたのも自分の意思で、会社を決めたのだってもちろん自分の意思だ。彼女に苛立つのはどう考えてもお門違いだ。分かってはいたけれど、妬ましくて仕方なかった。

自分で決めてきたことに、自分で責任を持てなくなってきていた自分が本当に嫌だった。

「長所は責任感です」なんてもう履歴書には書けない。

このままだと自分の人生の選択を他人のせいにしてしまいそうになる予感がピーンと走って、わずかに残されていた理性がそれは嫌だ!と判断を下して、自分の意思で転職をした。今健康な時間に会社に行って健康な時間に会社から帰って、家族はいないけれど一人で好きなものに没頭できて、週二日休んで。

その生活を経た上で改めて、あの子は何を休んだんだよ、と思う。結局性根の悪さは治らなかった。抜くしかないのか。歯みたいに。抜いてしまいたいな。

今の割と健全な精神状態で彼女と話をしても、やっぱり結婚はしたいと思わないし、最近は子供も欲しいと思わなくなった。このご時世子どもが将来苦労せずに生活をしていけるようになるには、かなり教育に投資をする必要があると考えていて、もし結婚するようなことがあれば子供をうむ可能性だって出てくるわけだからますますしっかり働いてお金稼がないと、と思っている。したらの話ね。
彼女の旦那さんは大富豪とかでもないので、置かれている経済状況はそれほど変わらないはずなのだが、彼女は仕事をやめたけど、子供はほしいらしい。もう、なんなんだよまじで〜と思った。わたしは彼女のことが好きだから鼻から荒めの息を吐き出すことで気持ちをやり過ごした。宝くじで三億くらい当てたんだろうと思うことにしている。考えるのがアホらしくなって、その辺で考えるのをやめてしまった。そもそも結婚もしてないし。
考えれば考えるほど、わたしはやっぱり生まれてくる子供を幸せにできる自信が、今はない。まあ、何度も言いますが生まれては来ないんだけれども。(?)

少し前まで、母を尊敬するがあまり母になりたいという願望はあったのだけれど、それもなんだかただの自分のエゴのような気がして、いつの間にか萎んだ。自分のエゴのために生み落とされる命があまりにもかわいそうすぎる。運良く授かったとしたら全力で責任と愛情を持って育てるつもりではいるけれど、「子どもが欲しい」という欲は抱かなくなった。私はどういう流れで生まれてきたのかまったくもってわからないけれど、父と母の仲が非常に悪かったのでそもそも結婚というものにかなりネガティブなイメージを持っていた。し今も持っている。

親にはもちろん感謝はしているけれど、自分が感じてきた悲しい思いだとか苦しい思いだとか、そういうものを感じさせたくはないのだ。わたしはHSPの気があるので、もし生まれてきた子供も同じような感受性を持っていたとしたら、かなりこの先の世の中は生きづらいと思う。そんな世の中を生きていけ〜!なんて、わたしはできない。

父は根っからのがんこ親父という感じの人で、「男子厨房に入らず」だのなんだのと言って全て母任せだった。皮肉にも弁が立つ子供に育ってしまったので小さいときからそんな父にあーだこーだと言い返しているうちに、父の言うことは論理でもなんでもなくただの文化であることが子どもながらにわかって、「話をしても無駄だわ」のフェーズに入ってしまった。

また、私は母のことが大好きだけれど、母はわたしに「父のような男に負けない女」であることを望んでいた。打ち負かしてやってと、そのためにはたくさん勉強をして、いい高校いい大学に入ってと小さい頃から呪文のように言われ続けていた。母は大学を出ていないので、それも影響していたのかもしれない。結局わたしが母の希望に添いたいと思っていただけだったと自覚したのは、本当に最近のことだ。わたしは母のことが大好きだけれど、わたしの人生は母のためのものではない。

ようやく健全な精神を手に入れて自分の人生やりたいこと見つけよう、と思えた最近だけれど、いざそうなってみると自分の能力のなさだとかクソ加減だとかそういうものと向き合わなければならなくなって、ますます誰かと生きていくなんて無理じゃんね〜と思ってしまうようになった。結婚ってまじで奇跡ですね。結婚している皆さんは本当にその事実がかなりの奇跡であるということを独身が改めてご案内させていただきますね。

と、ここまで約3000字超、つらつらと書いてきたクソみたいな思考を凌駕するものがきっと愛なんやろなと思うんですよね。

そこに、愛は、あるんか?だね〜

だって推しの家族が増えたって話聞いて、自然と涙出たもんね。
余計なことを考えずに涙が出た。なんでって言われても答えられない。胸があったかくなるという表現はあまり好きではないのだけども、ウワーッとこみ上げてくるものがあって、それが体の中から出てきた形態が涙でした〜という感じだ。
きっとこのウワーッとこみ上げてきた思考を必要としない何かが「愛」なんだろうな・・・・・・・・・・尊い・・・・・・・・・・・・・・・

こうやってぐるぐるめんどくさいことを考えるのをやめたい。

こうやってぐるぐるめんどくさいことを考えていると一生大人になれんのじゃないかと思ってしまう。はよ大人になりてえのに。

大人になるのむず。


おしまい

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