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地方移住と地域おこし協力隊

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東京出身、海外生活7年、YouTuberという仕事を経た私が、ご縁に導かれるように地域おこし協力隊としてやって来た、瀬戸内海に浮かぶ香川県土庄町(とのしょうちょう)。小豆島、豊島… もっと読む
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#農業

家庭菜園から専業農家へ、女性農家のリアル【やりたいことの見つけ方】

小豆島へ移住して1年が経つ。 「東京から地方へ移住したこの1年で最も大きく変化したことは?」 そう聞かれて真っ先に浮かぶ回答は、 「第一次産業の現場を自身の目で見る機会が増えたことで、生産者さんのことをより身近に感じられるようになったこと」だ。 これまで都会のスーパーで、野菜や果物、海産物を手に取り、食卓に並べるだけでは分からなかった、生産者さんの日々のドラマや思いをご本人から伺い、また、その現場を実際に見せていただくことで、自分ごととして感じられるようになったのは、我

「働く」と「暮らす」が寄り添う島生活 夫婦ではじめたオーガニック農園【やりたいことの見つけ方】

週末に小豆島を訪れるという人には、土曜を挟んで滞在することをおすすめしている私。 「せっかくなら土曜を挟んで来てほしい」 私がそうおすすめする理由は、小豆島を訪れたらぜひ足を運んでいただきたい!と個人的におすすめしている島の素敵なカフェ、HOMEMAKERSが、毎週土曜の昼間、週に一度だけオープンしているからだ。 名古屋から小豆島へ移住、オーガニック農家へ転身この記事の主役である三村拓洋さんが、妻・ひかりさんと2013年に設立したオーガニック農園「HOMEMAKERS」

移住で出会った島風景 小豆島の夜を彩る電照菊ハウス

小豆島へ移住して初めての冬。 温暖な瀬戸内気候であるこの島も、今冬の夜の冷え込みは一段と厳しかったという。 そんな冬の夜に車を走らせると、暗闇にぼんやりと光るビニールハウスを時折見かけることがあった。 光りの正体は、「電照菊」のハウス。 電照菊の産地としてよく知られるのは、愛知県の渥美半島。 私が昨夏に移住したここ、小豆島は、いまでこそ「オリーブの島」として認知されるシーンが増えたが、かつて小豆島は日本有数の電照菊の産地として知られていたそうだ。 小豆島の島内あちこち

生まれ育った島の集落へUターン みかん農家へ転身したバンドマン

大学進学を機に、生まれ育った小豆島、中でも棚田や農村歌舞伎、虫送りの文化など、美しい日本の原風景が残る肥土山を離れ、ひとり大阪へ。 10年ほどの音楽活動の後、バンド解散を経て大阪から小豆島へUターン。 コロナ禍の真っ只中に8年間勤めた地元の飲食店を退職し、みかん農家への転身を決めた。 それが、この記事の主役、文次郎農園の太田翔さんだ。 今回は、大阪から小豆島へUターンを決めた理由、都会と島での暮らしの変化、みかん農家への転身を決めたきっかけ、そして、もうすぐ限界集落となる

金融コンサルからいちご農家へキャリアチェンジ!40代からの島移住

大阪で10年間、金融コンサルとしてバリバリ働くサラリーマン生活を送っている中、40歳のある日、瀬戸内海の小さな離島「豊島」へ移住。 島暮らしの生業として選んだのは、農業だった。 それが、今回の記事の主役であり、私にとって香川県土庄町地域おこし協力隊の大先輩でもある新屋貴之さん。 前回は アウトドアを仕事に!自然に魅せられた彼女の島移住ストーリー【やりたいことの見つけ方】 地域おこし協力隊のカタチ と題して、3年間の任期を満了されたばかりの元・土庄町地域おこし協力隊の立屋

島移住で知る冬の風物詩「いものつるタワー」で感じる季節の移ろいと地域の文化

2021年7月に東京から小豆島の小さな町、土庄町へ移住した私の島暮らしライフは早くも7ヶ月が過ぎ、現在、島で迎える初めての冬を絶賛満喫中。 年末年始から1月中旬までの小豆島の最高気温は5℃以下、最低気温は大抵マイナスと、結構な寒さ。 「オリーブ栽培が盛んな小豆島の冬はあったかいだろう」と勝手に期待していた私のイメージは、早々に打ち砕かれ、灯油ストーブやもふもふの布団カバーを買い込んで新年を迎える運びとなった。 大事なことなので、もう一度お伝えしておく。 瀬戸内の冬は、そこ