『ゆびさきと恋々』を読んだよメモ

※『ゆびさきと恋々』2巻のネタバレを少々含みます。

 森下suu『ゆびさきと恋々』は、「デザート」誌で2019年より連載中の少女マンガだ。「生まれつき聴覚障がいのある大学生」雪が、バックパッカーとして海外を回る逸臣と出会うところから話はスタートする。前作の『ショートケーキケーキ』からさらに進んだ、少女マンガの最先端ともいうべきチューンナップされた絵柄と画面作りも見どころだけれど、本作の大きなポイントは、コミュニケーションの経路が複線化された現状を映し出しているかのような特徴的な「会話」の描かれ方だ。

 2巻p86にも下記のように書かれているが、『ゆびさきと恋々』では、会話の吹き出しに通常のマンガと違うフォント処理がされている。

 ふきだしの文字が薄くなっているのは、雪が相手の話している口の動き、会話の文脈から単語を読み取っているものです。傾いてたりするものは口話の読み取りづらさを表しています。

 これに限らず本作では、画面内/コマ内にいる2人以上のキャラクターのやり取りが、吹き出しを介した従来の会話だけでないことが多々ある。主なものを挙げてみると

音声による会話(吹き出し・文字黒)
口の動きを読み取る「口話」(吹き出し・文字灰色)
手話
スマートフォンのメモ、あるいはノートに書いた文字による筆談(四角の吹き出し)
メッセージアプリによる会話
(実際はさらにいくつかの経路が新たに描かれていくのだけど、それは読んでみてということで……)

 これらが一つのシーンの複数人のやり取りの中に、かわるがわるもしくは並行して現れてくる。そしてそれぞれに、伝達手段としての制限がある。「口話」の読み取りは、雪の視界に話者の口元がないと可能でない(そのためしばしば、吹き出しの文字色は途中で黒/灰色からもう一方に変わる)。手話はそれを解する者でないと伝わらない、メモはそれをのぞき込む者だけ……等々。
 一般的なマンガ表現において、一つの画面/コマに複数人が描かれ、その間に吹き出しがある場合は、そこで発せられた音声/内容はそのコマに描かれた人物すべてに伝達されている、と受け取られるだろう。この「吹き出しの自明性」を問うような作品としては、例えばヤマシタトモコ『ジュテーム、カフェ・ノワール』で描かれる、複数人のカップルがひとつのカフェで同時に会話していて、基本そのカップルごとの会話はその中で完結しているが、たびたびその外にも聞こえ影響してしまう……のようなシーンが想起される。
 『ゆびさきと恋々』はさらにこれを押し進め、画面に描かれたそれぞれの伝達内容が、実際には画面にいる人物の一部にしか届いてなく、それは伝達意思/伝達手段と偶然性によって変わってくるという、発されたメッセージを行、人物を列として〇×を書き入れる「伝達のマトリクス」とも言えるものをシーンそれぞれに組み上げる。そしてこれら注意深く組まれたシーンを連ねることで、どんな感情や秘密が特別に伝わっているか、それがどのように信頼を積み上げまた揺るがそうとしているかを、より精緻に描き出そうとしている。
 この複雑さが案外受け入れてしまえるのは、私たちもいま、このような複線化したコミュニケーションを日常的に行っているからとも思う。誰かと会話しながら、LINEメッセージは複数のトークとして手元に届き、Twitterにつぶやき、その大元の会話だって携帯回線やZoomかもしれない。このあたり、先にこのnoteで書いた『サードガール』と電話についての話にもつながるだろう。

 また、そもそもラブストーリー自体が、マトリクス的な伝わる/伝わらないと相性が良いのもある。想いが一回で伝わってしまっては話としてつまらなくて、さまざまな行き違い、陥穽、錯誤があってこそドライヴする。そのマトリクスをすべてチェックし展開を期待できることが、神の視点たる読者の醍醐味でもある。


 という所まで解説をしたのちに、2巻p59、逸臣の友人の京弥が(ダブルデートの最中に)雪に向けた台詞を見てみよう。途中から口話を示す灰色の文字になる。

逸には言わないでね
雪ちゃんを呼ぶ時 逸 すごい優しい声だったから

 これに雪の「声ってそんなに 違いがわかるのかな」というモノローグが続く。

 『ゆびさきと恋々』はここにおいて、伝達されるメッセージがさらに「言葉」と「声色」の2つに分けられることを示す。雪が読み取る「口話」では後者は受け取ることができない。「優しい」はここではあくまで、いつも逸臣を見ていてその変化を感じ取れる(ということになっている)友人を通した主観的な印象だ。
 そして、私たちがマンガを読むとき、吹き出しの台詞をなぞる時、後者の「声色」はそもそも常に受け取れていなかった、ということがここで初めて意識されることになる。マトリクスを俯瞰する「神の視点たる読者」などではなくて、私たち読者も雪や逸臣と同じく、この伝わる/伝わらないのマトリクスに初めから組み込まれている。京弥が述べる「優しい声」という主観を、とりあえずは裏付けもなく信じるしかない。


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