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7年の母の介護記録④

2022.3月。
老健入所中に体調不良で、
病院に運ばれてきました。

私もすぐに病院に向かい、
母に会うことができました。
手をずっと握って、
顔を見て、笑ってくれました。

ひと通り検査をし、結果は脳梗塞。
範囲が大きく、飲み込みに支障が
出てしまうと言うことでした。
1ヶ月の入院になりました。

4月。
退院後は自宅での生活は困難ということで、
ケアマネと相談をして、
特養のショートステイに入ることに。
1ヶ月が過ぎ、空きがあり、
そのまま続けて入居することに。
母の住所は特養の住所に変更になりました。

5月。
入居するときに、説明会がありました。
最後に聞かれたことは、病状が悪化したとき、
病院で延命治療を受けるか、
こちらで看取り介護をするかの選択でした。
無理に延命治療を受けさせたくないとの考えで、
看取り介護をお願いしました。
この時は、まだまだ先のことだろうと
思っての判断でした…

6月。
コロナが少し落ち着いているとのことで、
窓越し面会が許され、予約をし、
玄関の窓越しで対面。
入院していた頃より、
とても元気になっているようで、
よくしてもらってるんだなとわかりました。

トランシーバーで声がけをするのですが、
ずっと目をつむり、無言。寝たふり!?
職員さんは、「さっきまで起きてたのに」と。
みんなで「おかーさん!」「ばーちゃん!」と
何回呼んでも、とうとう起きませんでした。
なんだか、その様子がおかしくて、
みんなで笑っていました。
「ばーちゃんらしいね」って。
手を握れたら、体に触れることができたら、
起きたかな?と思ったり。

元気な姿を見れたのは、この日が最後になりました‥‥

11月。母、誕生日。
面会はできなくなっていました。
寒くなってきたので、
膝や肩に掛けれる大判のストールを  
プレゼントで持っていきました。  
会って渡せたら、誕生日を祝えたらと‥‥

12月。
老健から、電話。
母がコロナに感染したと。
同室のおばあちゃんから、
うつったと言うことでした。
その時の母は、軽症で、熱もなく
すぐに治ったと言われました。


1月。
食欲が落ちてきていると連絡。
面会はまだできないとのこと。
コロナの後遺症だろうと思いました。 
 
私自身8月にコロナに感染していました。
かなり大変で、熱は下がらず、ほぼ食べれずで。熱が下がっても怠さが取れなくて。
2週間休んで職場に復帰。
職場まで歩く道のりで息切れし、 
仕事に行っても、あまりの怠さに 
早退していました。
元気になるまで2ヶ月ほどかかりました。


2月。
なかなか、食欲が戻らない、
体力も落ちていると連絡がありました。
面会はまだできませんでした。

コロナの後遺症だから食べるようになれば、 
また元気になれると思っていました。
良くなるはずだと‥‥


 上の見出し写真はキンシバイです。        
この写真は花壇に咲く、涼しげな鈴蘭のような花。
(名前がわかりません^^;)


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