続・老犬を知る

画像1 くーちゃんはコロンの3つ下でコロンのお嫁さんとして我が家に来ましたが、コロンと夫婦関係にはならず、喧嘩もそこそこする兄妹という感じで、2匹はいつも一定の距離感をおいていた
画像2 とても仲良しでもないし、険悪な仲と言う訳でもない。この微妙な関係はお互いどう思っているのかと常日頃から見守っていた。
画像3 コロンはなんだか世話の焼ける妹だなとも言いたげにビビりなくーちゃんを助ける場面もあったりして、意外な一面もあった。一方くーちゃんはコロンのことは口うるさいやつだなという感じで、極力近づかないところはなんだか大人びていて面白い
画像4 とはいえ、いろいろ助けてもらってしまっているし、意外と年功序列を重んじるタイプのようで、少し後ろに引いて譲るところなんかもあるから面白い
画像5 コロンが体調を崩した頃はほぼ私や家族はコロンに集中しなくてはならず、くーちゃんは文句も言わずに静かに過ごしていた。よろよろのコロンも気にしてなのか、時々くーちゃんのゲージに何とか歩いていっては何か話しかけていた。まるで後は頼んだよとでも言っているかのような、そんな空気が漂っていた
画像6 コロンが旅立つその時もくーちゃんは私のすぐそばで見守っていた。きちんとお別れの挨拶もしているようだった。悲しそうだったという表情は見えなかったが、どこか顔つきはしっかりしていた気もする。
画像7 コロンが亡くなった3日後に私は名古屋へ引っ越すことになっていた。本当ならばコロンも一緒に連れて行きたかったが叶えることはできなかった。私とくーちゃんはバタバタと名古屋へ向かった。
画像8 くーちゃんの適応能力の高さはすごい。名古屋に来てからのくーちゃんはとても落ち着いていて、なんだか引きこもりがちな私を散歩に連れて行けと言っては連れ出してくれるし、どんな人や犬とでも友好的で東京にいた頃は小心者でびびりな性格だったのだが違う犬のようだった。
画像9 毎日楽しそうなくーちゃんを見ながら、コロンを失った悲しみも少しずつ落ち着き、何よりくーちゃんが楽しそうな顔が良かった。この子がいてくれて良かった。新たに家人という同居人とも仲良くしていたし、なんというかしっかり者のお姉さんだった。
画像10 もともと心臓が肥大化していて、薬で抑えているものの日に日に大きくなり、春からもう少しで初夏に入る頃にはくーちゃんの呼吸はとても苦しそうだった。それでもくーちゃんは好きな散歩は行きたがるし、ご飯もモリモリ食べた。亡くなる前日の夜も散歩へ行った。当日の朝もモリモリご飯を食べ、しばらくすると呼吸の激しさと歯茎が真っ白になっていて肺水腫が起きていた。
画像11 実は1年前にも肺水腫を起こし、一時危険な状態になり入院をしたことがあるくーちゃん。奇跡的に回復をし、お散歩もできるほどまで回復したのは驚いた。しかし、次起きてしまったなら覚悟しなければならなかったから、こまめな検診と心臓肥大の治療はそれなりに大変だったが、くーちゃんが楽しい時間を少しでも長くできるならそれでも構わないと思った。
画像12 ほぼくーちゃんを中心にして生活をしていた。日々のくーちゃんの健康が何よりの喜びだった。しかし、そんな私たちの願いとは別に心臓は日に日に大きくなり限界が来てしまった。すぐさま病院へ行き、高酸素部屋に入ったがずっとくーちゃんは苦しそうに部屋をくるくるしては倒れ、また立ち上がり、倒れを繰り返していた。
画像13 外から大丈夫だよ。ここにいるよ。としか声が掛けられなかった。もうずっとくーちゃんは頑張っていたから、これ以上頑張れとは言えず、しかしまだ生きていてほしいという気持ちだけしかなかった。2時間ほどしてくーちゃんは突然横たわり、先生からはもう意識が無くかろうじて身体が動いている状態だと…
画像14 高酸素部屋からくーちゃんを自分の腕の中へ移動し、最期を看取った。あまりに急な容態の変化に必死で泣くことも出来ず、小さな箱に入ったくーちゃんと家に帰ってようやく事の事態を受け入れ、涙が止まらなくなった。家人も仕事の途中で帰宅した。少しだけ家人とくーちゃんの二人きりにした。
画像15 コロンもくーちゃんも私のなかなか波乱な生活を支えてくれていた。この子たちのおかげで救われたことがたくさんありすぎて、今は犬のいる生活が無いことが不思議だ。コロンは私のお兄ちゃんだったし、くーちゃんは私の娘みたいだった。2人とも最後にかけた言葉は「またウチにおいで」だった。また生まれ変わって私のところに来てくれるのを今も待っている。

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