経過/仕事と職場について

 経過、というのは今後気持ちが変わる可能性が大きいから。でも、残しておきたいから、言葉にします。

 現状整理
・8月12日〜10月11日まで仕事を休んで入院した母の元へ通っていた
・↑の内合計7日間くらいは母の容態を見つつ仕事に行った
・出勤できる/できないを直前で繰り返し職場から苦言を呈されたことによりどうして良いかわからず精神が終わる→元々病院に行く予定だった
・10月12日に母が逝去。そこから一度も出勤していない。職場から連絡は一切ない。


 仕事について

 私は仕事が大好き。これは迷いなく言い切れる。接客業という仕事も、お菓子屋さんという職業も、自分と自分が育てた子達でつくりあげた店舗のことも、大好き。愛をもって働いていた。安っぽく聞こえるかもしれないけれど、愛していた。全てを。18歳から25歳まで、私のほとんど全部がそこにあった。それくらい打ち込んでいた。仕事で成果をあげることが何より嬉しかった日々もあった。私が頑張れば頑張るほど両親も上司も喜んでくれた。子供みたいだけど、それが嬉しかった。
 接客、と一言で表すにはもったいないくらい、奥が深い行為だと思っている。私が働いている会社は「接客スキル」に関してはかなり厳しく躾られていて、入社前、後の研修から、今日もずっと、高い水準を求められている。それはしばしば抜き打ちの視察などで測られ、地区に共有される。私はそれも案外好きだった。やりがいがないよりある方がずっと良いし、頑張ったことがすぐに認められる制度が好きだった。
 私が働いているお店は会社の中でも一番の田舎にある店舗で、周りに似たようなお菓子屋さんが無いという商売にはうってつけの場所だった。冠婚葬祭のどれかでは特別な理由がない限りうちを使わない方が難しいと思う。入社当初から、ついこの間の8月まで。色んなお客様との出会いと別れがあった。
 どうやら私は愛嬌があるらしい。お客様にも友達にもよく言われるので、そうなんだと思う。それは私の丸い体型がそう見せているのか、すぐ顔に出てしまって嘘をつけない性格がそう感じさせているのか、お世辞を素直に受け取って喜ぶ姿がそう思わせているのか、わからないけれど。そう言われることは嬉しいことだった。人の顔と名前を覚えるのは苦手だったし、記憶力もかなり悪い方だと思うけれど、仕事に関してだけは人より優れていたように思う。お客様の表情や、した会話、よく買ってくださる好きな商品や味の系統、お買い物のペース。二ヶ月半仕事に行っていない今でもすぐに思い出せる
「100人に100通りの満足してもらえる接客」これは私がよく後輩に指導すること。「どうしてそんなにお客様(固定客)がいるんですか?」と聞かれた時に必ず言うこと。弊社の接客マニュアルは本当によくできていて、それをきちんとこなせば80点以下は誰からも到底取らない仕組みになっている。実際、それで良いならそれで良いのだと思う。強要して指導するのは5年目くらいで意味が無いと気づいてやめた。そういう接客が好きなお客様だって沢山いるし、私も自分がお客様の立場の時はそちら側の意見に賛成だ。でも、自分はそれじゃあ駄目なんだと思ったのはいつ頃だったか、思い出せないけれど、でもわりと早くから思っていたように思う。お客様が喜んでくれるって、なに? その答えは本当に、100人中100人が違う答えをだす。だから全部に対応できるように努力する。この人は何を求めているか考える。スピード? 手際の良さ? 雑談? 新商品の提案? 目を合わせたがっている? なにか聞きたそうにはしていない? 売り場で何か探している様子ではなかった? 前回のお買い物でどんな話をしたんだっけ? 言い出したらキリがないけれど、こういうことを考えて、判断して、提供する。物価が高くて、美味しいお菓子なんてどこにでも転がっている時代に、わざわざ選んできてくれることの有り難さ。お客様が求めているものの中に少しでも接客が含まれているなら必ず応えられるようにしておくべき。そういうちょっと窮屈な考えで自分を追い込んで、それをクリアしていくのが好きだった部分もある。お客様は素直だから、好きも嫌いもわかりやすい。元々私が持ち合わせている誰からも好かれたいという性格も相俟って、私にとってこの仕事は天職だ。今でも強く思う。色んなことに挑戦したあとも、結局これにかえってくると思う。それくらい、好き。ここで褒められたことも、指導されたことも、きっと一生役に立つ。どちらかと言えば辛かった期間の方が長かったけれど、期間なんて関係ないくらいお客様に愛されている現状があった。

 でもそれを全部捨ててもいいやって思える出来事が最近立て続けに起こっている。職場での人間関係。なんて有り触れた理由で自分が辞める決心をするなんて思っていなかった。ちょっと恥ずかしさすらある。自分がトップのお店なのに。

 ここに書くのはよくない気がするから色々端折るけど、結局全部被害妄想ですよ、って言われたらそれもそうなんだと思う。私は気にしすぎる性格だし、とってもネガティブだから。常に最低を想定して行動して、最低じゃなかったことに安心する。そういう生き方しかできないんだと思う。昔はどうしてこんなに悲観的なんだろうって嫌だと思っていたけど、今は慎重でいいね、って思えるようになった。実際、仕事で特大のやらかしをすることはここ数年ほとんどない。リスク管理とリスクヘッジが上手にできるのは自分の好きなところだった。ていうか、仕事をしている自分が大好き。ちゃんとできているから。自信があるから。
 話が逸れました。被害妄想。そう、被害妄想だ、多分。上司と話してもそのようなことを言われた。みんな私が休んでいることや病んでしまっていることにはなんとも思っていなくて、元気に帰ってくるのを待っているよ。そうなんだと思う。私も他の人が同じ状況だったら同じ気持ちだ。
 でもこれって、いじめと一緒でさ、されたと思ったらそうなんだよ。だって、私だったら絶対にしない。母親が倒れて危篤の状態の社員に「休むか休まないか突然判断するのはやめてほしい」なんて言えない。「いつ来れなくなっても、戻ってきてもいいようにしておくから今はお店のことなんて考えなくていいからね」って言う。これは社会人というか、人として、そうしたいと思う。社会人という枠組みで考えると不正解かもしれないけれど、だからなんだ。正解だけじゃ世界は救えない。
 気をつかって連絡を取らないようにしているのかもしれない。でも私にはそうは思えない。後輩にした連絡は二度も軽くあしらわれたし、先輩にした連絡は未読無視だと思ったので送信を取り消した。特に大事にしていたふたりからの対応に、ずっと限界だった心がちぎれてしまった。私に連絡をしないように話し合われているのかな? とすら思う。先輩は、そういうことができる人だから。きっとそんなことないし、今でも私の事が好きかもしれないけれど、そうなんだろうなって思ってしまう。
 今日、父親と一緒に職場に顔を出しに行った。葬儀のときはありがとうございました(なにもしてもらってなんかないけど。)、長らく休んでいてすいません。そう言いに足を運んだ。結果、会話は二言で終わった。
「お疲れ様です」「おつかれさま」
「ずっと休んでてすいません」「いえいえ」
 終了。たった、これだけ。その後上手く言葉が出なくて、泣き出してしまいそうで、直ぐにその場を去ろうとしたのをパートさんに「もう行くの!?」と止められたが、これ以上何があるかわからなかった。心配してほしいわけじゃない。でも、この対応は無いと思ってしまった。「あと何かありますか? また連絡します」自分でもびっくりするくらい冷めた声だった。大丈夫のひとつも言えない人間に良い接客ができるかよ、と、確かに思ってしまったのだ。きっと突然私が言ったからびっくりして、なんにもいえなかっただけなのに。その想像はつくのに、憎むことをやめられなかった。

 フラッシュバックみたいに7年前の出来事を思い出してしまった。入社1年目の時、ひとつ上の人が大好きだった。優しくて、気配りができて、いつも笑顔で、地区で1番の接客をする人だった。私は酷くその人に懐いて、出勤が被るだけでふたりではしゃいで、どちらかが居ない日は寂しさに耐えていた。その人は溜め込みがちな性格の人で、私と業務時間外によく遊ぶようになってから、一度泣き出して「今まで誰にも言えなかったからこんなに仲良くなれて嬉しい」と言ってくれたことがあった。出る杭は打たれると言うべきか、女社会の嫌なところを煮つめたみたいな陰湿さにじっと一人で耐えてきた人だった。私はその日とが泣いて喜んでくれるくらい親密になれたことが嬉しかったし、この人を支えられる人になろうとさえ思った。もう一人で耐えなくていいんですよって、私が一緒に怒られますって、そう言ってふたりで笑って泣いた日があった。
 その先輩はその数ヵ月後に突然仕事を辞めた。私が長期で他所のお店に出張に行っている最中だった。当時のチーフからその人が辞めたことを電話で聞かされて、言葉も出なかった。今よりずっと精神病に理解がなかった時代だったし、当時の上の人達はみんなその人のことをよく思っていなくて、一切の連絡を禁止された。意味がわからなかった。
 その人の母親が制服を返しに来るのを見て、先輩(上で書いていたのと同じ先輩)がずっと文句を言っていたのを思い出したのだ。突然来なくなるなんて社会人として有り得ない。せめて一言自分で謝りにくるべき。保険証だって会社の使ってるくせに。何を考えているか分からなくてずっと嫌だった。など。直接話されたわけじゃないし、聞こえてしまった中のほんの一部だから、もっと言っていたと思う。24歳から19歳に吐き出される言葉では無いと思う。私は、私のいない時にその人が居なくなってしまったことが、ただ悲しかった。助けてあげられなくてごめんなさいと、ずっと心残りだった。(何年か前に連絡をとって謝ったし、その人も私に謝っていた。今でも仲良しです)
 とにかく、それを思い出して、心がめちゃくちゃになった。たぶん、これだ。私もこれを思われている。先輩とどれだけ良好な関係を築いていてもそう思うことをやめられなかった。


 愛していたのに同じように愛されなかったのが悲しいの? そうかもしれない。でも、違うよって言いたい。愛されなくても良かったの、嫌われなかったらそれで。私のいないところで私の価値が下がっていくのに耐えられないの。母親の死と向き合うべきなのに、職場のことが足を引っ張るの。だからやめたい。会いたくない。私は悪くないって叫んでしまいたい。
 仕事が好き。会社のことも上司のことも好き。私が育てたこ可愛い後輩たちのことも好き。
 でも一番好きだった先輩と、一番可愛がってた後輩から受けた悲しさの方がずっと大きい。ごめんね、私が居なくて大変だと思う。でももうさ、受け入れられないかもしれない場所に戻る勇気も元気もないんだよ。ついでにさ、ひどい仕打ちを受けちゃったから、後悔もなくなっちゃったよ。コロナ以外で業績を落としちゃいないし、リニューアルも滞りなく行えたし、たくさんのお客様に愛されたし。まだここでできることは沢山あるけど、やりたいって気持ちがないかも。そう思っちゃった。もういいよって、ゴールしてもいいって、新しい人生に行きたいなって思っちゃったんだよ。こんな終わり方私だって望んでいないけどさ、私のことめちゃくちゃにしたのは、誰なんだろね、いったい。


 でもね、私、本当に愛していたの。ううん、今もだよ。
お店のことも、職場の人全員のことも、会社のことも、お客様も、お菓子も、全部。愛してるんだよ。愛をもって働いてたよ。紛れもなく、正真正銘、愛だよ。

 でもこの愛を手放すね。私がつくって、心から愛していた場所はもうきっと、なくなってしまったから。

 情けない責任者でごめんね。どうか、これ以上誰も追い詰められませんように。

 大好きなお客様には個人的に連絡してしまおうかな。何も言わないでいなくなるのは、私の信じた愛じゃないもんね。

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