愛とインターネットと夜中のクッキー

 血糖値を爆上げしてからじゃないと寝られなくなった。

 というのは大袈裟で、実際はそうじゃなくても寝られるのだと思う。ただ、全てが不安定になって直ぐにそうすることで寝られたのを心が覚えているだけ。一瞬のプラシーボ効果(マインドコントロール?)のようなものだ。
 夜中(だいたい2時以降)に食べるものは様々だ。おやつってこの世に無限に存在している。ハマっているのはセブンイレブンのナチュラルポテトのうましお味。サイズ感がちょうど良くて、有り得んくらいうまい。行くたびに出ている在庫を全て買い占めているので、ナチュラルポテト野郎みたいなあだ名がついているかもしれない。

 大好きな友達がお手紙とクッキーを送ってくれた。私のことが不思議なくらい大好きな子で、全部が優しさでできた荷物が届いた時は泣いた。写真を撮ってからお礼を言おうって思っているのに、堪え性のない私は直ぐにお手紙の封を切って中身を読んでしまうし、我慢できなくてクッキーをふたつも食べてしまった。ものすごく美味しいと思うのは、美味しいと思ったお店で買ってくれた愛が美味しさに上乗せされているからで、食べる度、見る度に嬉しくなれる。だから目につく場所に置いてある。その子は本当に優しくて、毎日愛の言葉をかけてくれる。私はTwitterくらいしか拠り所がない最悪インターネット星人なのだけれど、そんな私に好きだよって何回も言ってくれる。私が寂しがり屋で、愛に生きている人間だということを深く知っているのだ。こんなにありがたいことはない。文字通り、生かされている。


 私は友達に恵まれている。ここ最近、とてもよく思う。

 最初に母が倒れた時、お盆の直前で、仕事の忙しさはピークを迎えていた。帰省している友達と会う約束をいくつもしていたし、地元にいる友達との約束もいくつもあった。私にしては珍しく、人と会う予定を詰め込んでいた。全てを断らなきゃいけない、でもひとりひとりに連絡をする時間と心の余裕がない。
 私が選んだのはインスタグラムの親しい友達機能と、Twitterだった。多分、私とわざわざ約束をして遊んでくれる友達は読み飛ばさずにちゃんと見ると思ったから、SNSにあんまりこういうことを書くのはよくないとわかっていつつも書いた。結果、本当にみんな見てくれて、返信不要と言ってメッセージをくれた。やさしい。仕事以外に過剰にだらしない私にも優しくしてくれるみんなの愛がからだのどこかにあいた穴にしみた。
 インスタグラムの方には他言無用でお願いします。みたいなことを書いたのだけれど、友達は本当にそれを守ってくれて、親にも言っていないと言ってくれた。すごい。素直にすごいと思ったし、それを聞いた時は泣いた。おすしやさんで突然泣き出す私を見て笑って「いいからはやく食べな」って言ってくれた。そんなことある? ありがとう。他にも、もう縁が途切れそうな友達が「俺にできることがあったらなんでも言ってね」って言ってくれたり、みんなみんな、ご飯と睡眠の心配をしてくれた。もう大人になって何年も経っているに。みんな優しいね、こんな私と友達でい続けてくれてありがとう。

 職場の人にも沢山迷惑をかけた。嘘、現在進行形でかけ続けている。シフト制の仕事というのはひとりいないだけで様々な予定が狂うし、狂わされた方が大変なのもよく知っている。しかも私は俗に言うえらい人なので、みんなはもっと大変だと思う。ごめんね。
 私のいない職場で、過去に私がしたことに救われることが多々ある。私ははっきりした性格で、結構心配症だ。具合がちょっとでも悪そうな子がいたら直ぐに帰すし、帰らないって言われたら近くのドラストで薬を買ってくるし、シフトを作るときに希望休は必ず通すようにしているし、彼氏に振られてメンタルの調子が悪い時は話を聞いて今日は最低限の仕事しかしなくていい!!ってでかい声で言ったりする。成果をあげることも大事だけど、みんなが楽しく働く方が大事だと思っているし、結局楽しく働いたら成果もついてくることを知っているから。
 あと、あんまり時間にもお金にも頓着がない。残業も連勤も特に嫌がらないし、ミスにも寛容な方だと思う。それがえらい人として正しいか正しくないかは置いておいて、私の元で働く子たちは結構幸せなんじゃないかと自意識過剰ながらに思ったりする。みんなの感情を優先しつつ、私は結果を出すことにこだわっている。アンバランスにだけれど、どっちもそれなりにできているはず。だから私が休んでめちゃくちゃ大変になってしまっているんだけども……。でも、そうやって愛に生きていたから、みんなも私にちゃんと優しくしてくれている。特に私のことが好きな子達は、輪をかけて心配してくれているし、出勤すると嬉しそうに私の周りをついてきたりする。犬みたいで可愛い。大事にしてくれてありがとう。大事にしてきて良かったな。
 お客様にも救われた。一ヶ月ぶりの出勤。たかが一ヶ月見かけないことなんてよくあることだろうに、みんな、口を揃えて「どこ行ってたの」「やめちゃったかと思った」「探してたよ、会いたかったんだよ」って言ってくれる。他の販売員にどうしたのって聞いちゃった、って言ってくれた方もいた。普通の注文なのにわざわざ私を指定してくれたり、下の名前で呼んでくれる方もいる。顔も名前もわかる常連様から、うっすらよく来てくれるかも〜と思っていた人まで。びっくりした。こんなに愛してもらえてるなんて思っていなかったから。娘、或いは孫のように可愛がってもらっていた。私は会社もお店もお店の子もお客様も全部愛しているけれど、それが形になって返ってくるとは思っていなかったから。
 人生の優先順位で、仕事がかなり上にある。この年でこういう人ってあんまりいないと思う。でも、そうしてきて良かったなって思えた。仕事しかない、ってくらい仕事しかしていない時期もあったけれど、失われない愛もあることを知って安心した。今までのことが肯定されたみたいで、とっても、とっても、嬉しかった。

 インターネットに住んでいるんですけど(自己紹介)、インターネットに住んでいるから、そこでできた友達もたくさんいる。主にTwitter。Twitterでできた繋がりって、フォロワーと私って、友達って言葉を使っても良いのかな?って思うときがよくある。元々は私の創作物を好きだと思ってくれた人から始まったことがほとんどだから(ありがとう)友達とはちょっと違うのかな?って思ったりする時もあったけど、今は全然そんなこと思ってない。もう、すっごい友達。めっちゃ友達。会ったことある人もない人も他のSNSで繋がっている人もいない人も、匿名ツールを使ってしかやり取りしたことがない人も、全員友達。
 私は基本的に私のことが好きな人のことが好きだ。愛には愛を。そういう生き方しかできないから。だからみんな、私のことが好きだから、私も好き。短絡的?現金? そうかもね、でもそうなんだもん。好きだよ。好きでいてくれてありがとう。
 インターネットのみんなもたくさん優しい言葉をくれた。冒頭で書いたお手紙とクッキーをくれた子もそうだし、毎日だらだらと飽きることなくLINEをし続けている友達も始まりはインターネットだ。「母が危篤でどうしようもなさ過ぎて連絡しちゃった。しばらくLINEしても点々と返してあげてほしい」今見ても気が動転しすぎている内容である。それに対する返事は「まかせろ」。すっごい。もう、すっごい。あの日の救われ方といったら、それは、それはもう、言葉では表せない。今も連絡をとったり、夜中に電話をしたり、してくれている。ありがとう。幸せになろね、私たち。
 なんにも聞かずに先の予定をくれた人もいて、その子にもものすごく感謝している。私は母が倒れてもう死ぬかもってなったときに、この先の、本当に全ての予定を更地にした。行く予定だったヒプステの実質ラストライブ。楽しみにしていたお笑いライブ。など、さまざま。な〜んにもなくなっちゃったので、落ち着いて、ふとした時に「楽しみが何も無いな……」となって絶望していたのだけれど、そんな私にプレゼント交換しよって言ってくれた。嬉しい。返事が遅すぎる私を見捨てもせずに優しくしてくれている。来月から始まる。嬉しい。それをひとつの楽しみに生きるくらいには嬉しい。ありがとう。
 DMやマシュマロをわざわざくれたひとたち、ありがとう。やさしい。どうしてこんなに愛してくれているの?と聞いて回りたくなるくらい。私の汚い部分も全部知っているのに、変わらず好きでいてくれてありがとう。私という個人を好きと言ってくれてありがとう。孤独が天敵の私に、ひとりじゃないよって言ってくれてありがとう。何回言っても足りないくらい、感謝の気持ちしかない。ぽつぽつふぁぼ(いいね)をくれるひとたちもありがとう。見てるよ!感じてるよ。ありがとう。嬉しいよ。
 みんなの普段のツイートに救われています。みんなが普通でいてくれると、日常を感じて安心する。私もいつかそこに帰るね。


 いつか必ず返したい。ここで救ってもらった恩を、わたし、絶対忘れないからね。みんなが困った時、私にできることはなんでもするよ。わたしを一人じゃなくしてくれてありがとう。みんなも、わたしがいる限りは一人じゃないことを忘れないで。

愛しています。 愛をくれたすべての人たちへ。わたしより。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?