車の鍵を職場に忘れたらフラれた話

そろそろ時効かな、と思ったので。

生きてきて一番忙しい時期だった。
職業柄、12月は忙しい。菓子屋にとってはクリスマスも年末年始も戦争だ。唯でさえ想定の人員より少ない中、狭い店内を朝から晩まで毎日毎日駆け回っていた。
クリスマスが終わってすぐに、ひとりがインフルエンザでダウン。その次の日に、もうひとり。元々足りていない正社員は私を含めてたったのふたり。僅かしかなかった休日がゼロになり、一日の休憩もほとんどゼロになり、いちばん早く出勤したのにいちばん最後に退勤する。そんな日々の中で、精神的にも肉体的にも限界がきていた。

喧嘩が増えたのは知っていた。私がわがままで、彼が頑固なのもある。その逆も言える。
会えない分、時間を取れない分、細かな隙間時間でのLINEのやり取りを重視していた私と、休みで時間が沢山あり、くだらない日常の共有を元々重視していない彼。今思えば、価値観の相違だったのかもしれない。それでも私は彼が好きだったし、彼も私が好きだったはずだ。

忘れもしない、12月31日。その年最後の業務を終えて職場を出て、いつもより遠い駐車場へ向かう。日付が変わる頃には電話できるかな。そんなことを思いながら終わったよのメッセージを送る。即レスでお疲れ様と返ってくる。彼の好きなところのひとつに即レスが入るくらい、私にはそれが嬉しかった。帰ろう、と車の鍵を開けようと思ったのに、開かない。ああ、鍵をお店に忘れてきてしまった。悲しいことにしっかりがっつり残業だったため、お店本体の鍵も閉められてしまっていた。どうしよう、帰れない、最悪だ。その気持ちもそのまま彼へのふきだしに乗せて送る。どうしよう、親に電話しようかな。歩いて帰るには遠いし足だって限界だ。ぽつぽつそんなことを思いながら、まだ誰かいるかもしれないし、とお店へと足を戻す。

彼からの返事は、私の予想とは大きくズレていた。恐らく、互いの許容範囲をとっくに超えていた証拠だ。

「俺に言ってどうするの? 俺が迎えに行ってあげられるわけじゃないし、俺にはどうすることもできないよ。俺に一体なんて言ってほしいの?」

コンクリートに携帯が落ちる音がする。拾い上げる気も起きなかった。何を言われているか理解ができない。今思えば、彼も同じ気持ちだったのか。

結局母に迎えに来てもらい、たまたま居合わせたお店のカギ閉めの人に中に入れてもらい、自分の車で帰った。最早鍵を忘れたことなどどうでもよかった。俺に一体なんて言ってほしいの。そんなの、私がわかるわけない。

家に帰ってすぐに電話をかけた。彼は体調を崩しているようでいつもより声が低かった。ごめんね、と一番に言えなかったのが今思えば悪かったかもしれない。簡単に始まる言い合いに、終わりを告げたのは彼だった。

「友達に戻ろう」

リビングから家族の声が聞こえる。私を呼んでいる。しかも、怒り気味で。私の帰りを待って夕飯の時間が遅くなっているのに、部屋にこもって電話をするものだから怒られるに決まっている。でもそれもどうでもよかった。友達に戻ろうって何? 絶対に嫌だった。そう伝えた。頑固な彼は、それの一点張り。友達になんて戻れないことくらい馬鹿な私にもわかる。これが別れ話なのもわかる。友達に戻る気なんてひとつもないくせに、そういう言葉を選んだ彼を、私はきっと一生ゆるせない。

「ずっと一緒にいようって言ったのに、それは嘘だったの?」
「嘘じゃない」
「意味わかんない。約束したじゃん」
「約束が破棄されたわけじゃないよ。そっち次第でどうにでもなる」
「…意味わかんない。やだ」
「友達に戻ろう。もう無理だよ」
「全部捨てて選んだの知ってるよね?」
「………友達に戻ろう」

折れたのは私だった。もう正常な判断ができる状態ではなくなっていた。お腹すいたし、家族には怒られるし、彼氏にはフラれる。大晦日に。こんなに仕事頑張ったのに。それらが何度も頭を回って支配する。結局よくわからない味のごはんを食べてお風呂に入ってすぐに寝た。年越しの瞬間に寝ているのは覚えている限りでは始めてだった。夜中に蕎麦を食べないことも。母にはこんな日にそんな話をしてくる男は頭がおかしいと言われ、それに付き合う私もおかしいと散々な言われようだ。もう全部どうでもよかった。はやくこの世から消えていなくなってしまいたい気持ちでいっぱいだった。

喧嘩の最中、彼に言われて驚いた言葉があった。

「俺には自分を一番に優先してって言うくせに、俺より仕事が大事だよね」

衝撃だった。頭を心臓を鷲掴みされたような痛みがあった。あなたの比較対象はゲームなんだから一緒にしないでよ、と思ったがそのあとすぐに当たり前でしょ。とも思ってしまった。自分はもともと仕事が大好きだったし、生きがいもやりがいも感じていた。ああ、この人とは一緒になれないな、と。この瞬間、心のどこかで決まってしまったのだ。駄々をこねる口先とは別に、確信めいた感情。自分にとって仕事の優先順位はそれほど高く、それを応援してくれない人とは一緒になれない。思い返してみれば、今も同じ気持ちだ。

ずっとやっていたネットゲームをやめた。社会人になってから輪をかけて魂を吸い取られるように時間もお金もかけてきたものだ。休止しますと宣言をして、なんかいろいろぶん投げてやめた。休止、といったもののもう二度とやる気はない。もう二度と話したくなかったし、存在を確認することも嫌だった。それだけが理由じゃないけれど、それが一番大きな理由だった。良くも悪くも人との関りを大切にしすぎる自分にとって、この場所は毒になってしまった。もちろん、いい出会いもたくさんあったし、いい思い出もたくさん残っている。全部が全部だめなわけじゃないし、ここで学んだことも得た喜びも多い。

虚無のような時間を過ごした。友達と遊ぶ頻度が増えた。時間が解決してくれることは、身を持って何度も体験したことがあった。できるだけ、考えないように。できるだけ、見ないように。悪いと思うことをすべて避けて生きた。

3月頃に、友人だと思っていた男性に告白された。私はその時怒りでいっぱいになったが、付き合ってしまえばよいかもしれないという気持ちも少しだけあった。でもそれが、どうしてもできなかった。未練がないと言えば嘘になってしまうからだ。約束が破棄された訳ではないと言った彼の言葉を、信じてしまっていた。せめて一年は恋人をつくらないでいようと、そう思ってしまっていた。

6月。ツイッターのタイムラインでやけに目に付く彼の周りの事情。ミュートワードは働かないし、今でも仲良くしてもらっている友人と彼も友人だった。見てしまったのがいけなかったが、見てしまっても仕方なかったと思う。

ここから先は割愛します。特に未練とかはありませんが屈辱的な気持ちを忘れないために残しておこうかと。この日痛い目見れて、いい経験になったと今では思えています。きっと一生ゆるせないけれど。


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