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「公立小、英語で算数授業」の記事を読んで~グローバルな今こそ、母国語を大切に~

みなさん、こんにちは、佑真です。今回はTwitterで面白い記事を見つけたので紹介します。

要約すると、来年4月から実験的に公立小学校で英語を用いて標準授業を行うコースを設置するという内容です。目的は、早いうちから英語を身近に感じることができる環境に揉まれることで、現在重要視されている英語の早期習得を目指すということです。近年、英語教育においては、早期教育の必要性について様々な議論がされてきました。その議論がついに具体的に実践に移されるということで、英語教育はさらに先に進むというポジティブな意見があるなかで、「愚の骨頂だ」といったネガティブな意見もあります。

このように様々な意見が飛び交っている状況で私の意見を述べさせていただきたいと思います。

私はこのような英語早期教育について、「必要ではない」という考えを持っています。この記事を読むと、「何のための母国語なのか?」と問わざるを得ません。

確かに現在の世の中はグローバル社会と言われており、その中心にあるのが「英語」です。我々もその社会の一員として活躍するためにも高度な英語技能の習得が必要に迫られていると一見思えるでしょう。

しかし、私が思うグローバル社会とは、英語に支配されているような世の中ではなく、世界という大きな枠組みのなかで様々な言語が混在している状況のことを指すのではないかと思っています。勿論英語もその社会のコミュニケーションツールの一つであり、日本語もその一つであり、英語>日本語のような大小関係はなく、すべての言語に平等な存在感が与えられているような多種多様な社会なのではないかと思います。

私の大学の先生が国際学会に出席したときのお話を聞いて非常に参考になったので紹介します。その先生の教え子(D1)が国際学会で自分の発表をすることになったので、その学生は「恥をかかないように」と流ちょうな英語で発表できるように練習しました。そして無事練習の甲斐あって、学会ではスラスラとした英語で発表することができました。しかしその後の質疑応答では、質問者は発表者の英語の発音が流ちょうだったので、彼の母国語が英語だと勘違いし、質問はネイティブな英語でなされました。その発表者は、発表の際の英語しか練習していなかったので、上手く質疑応答することができませんでした。

もし発表者がカタコトの英語でも良いから精一杯発表していたとしたら、きっと質問者もその事情を汲み取って、分かりやすくゆっくりとした英語で対応してくれたに違いないでしょう。

このことからうかがえる大事なこととは、私たちは何もペラペラな英語を話したり聞いたりすることを要求されているわけではないということです。国際学会というグローバルな場では、公用語である英語のみが特別視され、他の言語は排除されているという訳ではありません。他の言語も尊重されているなかで、利便上英語という代表的な言語を設定しているだけなのです。

この記事を読んだ私の見解は、「もっと母国語(日本語)を大切にしてみてはどうだろうか」ということです。我々大学生のなかでは、将来の投資と考えて必死で英語を勉強する人たちがいます。しかし、私の考えでは必要に迫られていないのであれば無理して英語に揉まれる必要はないのではないかと思います。例えば、外交官になりたいとか、海外のベンチャーで働きたいようなひとたちは、今すぐにでも英語の習得を目指すべきですが、そうでないような人たちは英語を必ずしも最優先に考える必要はないと思います。やりたいことの過程の中に英語の習得があるのであれば勉強すればいいだけの話です。英語の習得も大事ですが、母国語という我々になじみがあって便利な言語があるのだから、積極的に母国語を使って過ごしても良いのではないかと思います。グローバル化が進行しているからこそ、母国語の利便性や重要性を再確認し、大切にしていく視点も大事なのではないでしょうか?


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