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ほぼにっき vol.01

講演会を終えた時に、いつも気づくことがあります。

はじめに

比較的小規模なコミュニティの中で講演をさせていただく機会があります。
一つのテーマについて30分ほどの講演を開きます。最近はもっぱらビデオ会議システムを使った講演なので、参加してくださった方の表情などから反応を読み取ることは難しいです。
それでも、講演を終えた後に電話なりメールなりSNSなどで、感謝の言葉をいただけるのは本当にありがたいことだなと感じています。

いただいた感謝の言葉を自分なりに分析して、次の講演に生かそうと考えています。それで講演が終わるごとにノートに内容をまとめているのですが、その際に気づいた点がいくつかあります。


1.感動は聞く人の中にすでにある

うまく言葉にできているか不安なのですが、一言でまとめると、この見出しになりました。

感動しました、と言ってもらえた講演は、自分自身すごくやりがいを感じてうれしく思います。でも、よくよく話を聞いてみると、自分の講演の内容というより、その人の心の中にあったものが、感動の源になっているような気がするのです。
「せいぐーさんの話を聞いて、昔、〇〇だったことを思い出しました!」とか「自分は最近、○○じゃないかなって思っていたんですが、講演でそのことを話してくださったので、とてもよかったです」といった具合です。

でも、これはきっと悪いことでは決してなくて、相手の心にあるものと、講演の内容が紐づいたからこそ、心の中にある感動を引っ張り出せたのかなと考えています。
聞く人の心にあるものを刺激して、何度も問いかけることで、相手の心の中にある感動が表面に出てくるのかもしれません。
これは、私も教えていただいたことですが、「聴衆が何を知っていて、何を考えているかを把握すること」が心を動かすカギ、ということなのだと思います。


2.聴衆を信頼する

「良い講演」の定義はいろいろあるとは思いますが、その中の一つに「聞いた人の生活に良い影響を与える」講演があると思います。

講演を聞いて、「明日から○○をやってみたいと思いました」とか「自分のやっていることが無駄じゃないってわかって、明日からも頑張ろうと思いました」といった具合に感謝されると、非常にうれしい気持ちになります。講演を聞いた人がその後、何か行動する力をもらったと感じていただけていると、「意味があった」と感じます。

でも、相手に行動してもらいたい気持ちが強すぎて、聞く相手を批判したり貶めたりしてしまうのは、ナンセンスです。「~しなければなりません」とか「~する必要があります」という言葉は人のやる気を奪うワードなんだそうです。私も一時、こうしたワードを多用していましたが、今思うと、多少なり配慮が足りなかったと反省します。

相手に行動を促すときに、大切なことの一つは「相手を信頼する」ことなのかもしれません。講演の中で「すでにしてくださっていることを続けていきましょう」、とか「皆さんは、○○していらっしゃると思います、それは素晴らしいことです」といった表現が好きです。語っている方も、そして多分聴いている方もポジティブな気持ちになるのではないかと思います。

とはいえ、「相手を信頼する」ことは「相手をよく知っている」ことに他なりません。実情をきちんと把握していなければ、上っ面だけの信頼になってしまうのではないでしょうか。


結局…

長々と書いてしまいました。
つまるところ、頑張った後に褒められるのはうれしい、ということです。その嬉しさが原動力になって、こうした文章になったり、他の活動をやりきる力になったりするのだと思います。

いつも講演を聞いてくださる皆さんには本当に感謝しかありません。
これからも誰かの力になれるような講演ができるよう、努力を続けていきたいと思います。

今日はこのくらいにして。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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