【小説】スピリチュアルマイク
「お姉ちゃん、ただいま~。」
亜里沙は玄関を開けた。すると、キッチンから空腹をくすぐる優しい香りが漂ってきた。
「お帰りなさい、亜里沙。ご飯できてるわよ。」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
今日の夕食はピロシキ。祖母から作り方を教えてもらった絵里の得意料理だ。祖母と姉の温かさが詰まったピロシキは、亜里沙の大好物だった。
「美味しそう!いただきます!」
「うん…。」
ふと姉を見ると、夕食に手を付けようとはせず、心ここにあらずといった感じだった。亜里沙は不思議に思い、姉に尋ねてみた。
「お姉ちゃん、考え事…?」
「え?ああ、ごめんなさい。実は亜里沙が帰ってくる前にあの封筒が届いてね…。」
そう言って絵里はテーブルの端に置かれた封筒を横目で見た。亜里沙は念のために封筒の中身を見てもいいか確認すると、絵里は黙って頷いた。中身は一枚だけの書類。書類には予想外のことが書かれていた。
『厳正な審査の結果、絢瀬絵里様には次回ユニットラップバトルに参加していただきます。期日までにチームメンバーを選定し、ユニットバトル運営までご連絡ください。 かしこ』
ユニットラップバトルとは三人一組のチームで行われるラップバトルである。各ユニットのリーダーは、ユニットラップバトル運営からその実力を認められた者たちから選ばれる。このバトルに参加するメンバーはメディアにも注目され一躍人気者になることも多い。
「えー!? お姉ちゃん、ユニットラップバトルに出るの!?」
「ええ…、どうやら決定事項らしいわ。困ったわね。」
「どうして?出たくないの?」
ユニットラップバトルは優勝すれば多額の賞金がもらえる。亜里沙には絵里が参加を躊躇する理由が特に思いつかなかった。
「出場する分には構わないわ。けど、一緒に組みたいメンバーが誰もいないのよね…。」
「ああ、なるほど。」
生半可な実力のメンバーと組むことになればチーム戦が不利になることは間違いない。メンバー選びからすでに戦いが始まっていると言える。
「う~ん…、あ!じゃあ希さんは?」
東條希。かつて絵里とチームを組んでいた人物だ。現在そのチームは解散してしまっている。二人は互いをとても信頼しあっていたようだが…。亜里沙も希に可愛がってもらっていたが、チームが解散してからは一度も会っていなかった。東條希の名前を聞いた絵里は表情を曇らせた。
「…希…ね、それは無理だわ。」
「え…?」
亜里沙は驚いた。亜里沙は絵里と希がなぜチームを解散してしまったのか詳しい理由は知らなかったが、これ以上踏み込まないようにした。
「…じゃあ、お姉ちゃんはどんな感じのユニットにしたいの?」
亜里沙は雰囲気を変えようと努めて明るい声で続けた。
絵里は少し考えてからいたずらっぽい顔で言った。
「そうねぇ、せっかくなら『モデル系おしゃれユニット』なんてどうかしら?」
「ハラショー!お姉ちゃんにぴったりだよ!」
二人で笑いあいながら夕食を済ませた。亜里沙は絵里の態度に明るさが戻ったことを安堵しつつ、ユニットラップバトルに選考される実力を持った姉を誇らしく思っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「えー!?じゃあ、亜里沙のお姉ちゃんも?」
「てことは雪穂のお姉さんも?」
学校からの帰り道で雪穂に姉がユニットラップバトルに出場することを話すと、どうやら雪穂のお姉さんも出場することが決まったらしい。
「そうなんだよ!うちのところにもいきなり通知が来て、お姉ちゃんが『メンバー決まんないよー!』って騒いでたんだもん。」
「そっかぁ、やっぱりメンバー選びって大変なんだね。」
「うん、うちのお姉ちゃんは真っ先に海未さんとことりさんに頼もうとしてたんだけど、海未さんも別チームのリーダーに決まっちゃったみたいで、ことりさんがどっちのチームに入るかってことですぐには決まらなかったみたいなんだよねぇ。」
雪穂曰く結局海未が「穂乃果一人だと頼りなくて不安だ」ということで、ことりを穂乃果のチームに入れさせることにしたらしい。
「じゃあ、海未さんは幼馴染の二人と戦わなきゃいけないかもしれないってことだよね…。大丈夫なのかな?」
亜里沙が心配していると、雪穂がその心配は杞憂であるというように笑いながら、
「逆だよ。むしろ海未さんは『たとえ幼馴染であったとしても勝負は勝負です!二人には絶対に負けません!』って張り切ってるんだって。」
「ハラショー…、流石海未さん…!」
「はぁ、お姉ちゃん、海未さんと絵里さんを相手にしなきゃいけないんだからそっちのほうが心配だよ。」
二人で話しているうちに、いつもの分かれる場所に着いてしまった。
「じゃあね、亜里沙。また明日!」
「うん、またね!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そこのお嬢さん、ちょっと…よろしいですか?」
雪穂と別れてからしばらく歩いていると、聞き覚えのない声に呼び止められた。振り返ってみるとワゴン車から三白眼、ぼさっとした髪を軽く束ね、スーツを着崩しているのガラの悪い女の五人組が降りてくるところだった。恐る恐る亜里沙は尋ねた。
「あの、何か用ですか…?」
「あなた、絢瀬絵里さんの妹さんですよねぇ?ちょっとご同行願えますか?」
そういうや否や女たちは亜里沙の腕をつかみ連れ去ろうとした。
「嫌っ、離してっ…!」
「すみませんねぇ、少しの間だけ黙っておいてもらいますよ。」
丁寧だが有無を言わせぬ物言いだった。必死に抵抗しようとする亜里沙の口を女たちは強引にふさいだ。
「あなたには何の恨みもないんですがねぇ。」
リーダーと思しき女はそう言って冷ややかな笑みを浮かべていた。女たちは亜里沙をワゴン車でどこかへ連れ去るつもりのようだ。
(誰か…助けてっ…!!)
亜里沙は助けを呼ぼうとするも口をふさがれて言葉を発せなかった。亜里沙が車に押し込まれそうになったその時―
「そこまでや。」
大きくはないがよく通る声だった。いつもは優しくゆったりとした話し方だが今は鋭さを帯びている。この聞き覚えのある声は間違いなく亜里沙の知る人物のものだった。
「ああ、東條希さん。お待ちしておりましたよ。」
「東條希…?」
「あの元The Glass Gardenの…?」
下っ端たちは口々にそう呟いた。リーダー格の女は手をパンパンと叩き、下っ端たちの動揺を鎮めた。
「あなたたち、恐れる必要はありませんよ。東條希さんのスキルは完全にサポート向き。一人では何もできやしません。あなたたちが束になってかかれば負けることはないでしょう。」
下っ端たちはリーダーの言葉を聞くと威勢を取り戻したようで、それぞれのマイクを構えた。それでも希の余裕そうな態度は崩れなかった。
「うーん、半分正解ってところかな。確かにうちのスキルはサポート向きだけど、それでもあんたら相手するのにはウチ一人で十分やな。」
「ふっふっふ、面白いことを言いますねぇ。攻撃系のスキルなしでどう戦うというのですか?さあ、皆さんやっちゃってください。」
亜里沙は希望と不安の入り混じった目で希をじっと見ていると希と目が合った。希はフッと笑いかけた。
「ウチに任しとき…!」
どこからともなく流れてくるループした16ビートの音楽。希は右手に握ったマイクを、起動した。
『 Yo!並のやつなら喧嘩は売らない
ウチが相手じゃあんたらも運がない
結果は見えてるタロット占い
しっぽ巻いて逃げるのが英断やない?
弱い者いじめはクズだ愛なき
世界照らすウチは大明神
あんたらに食らわす硬い押韻と
消えない消えない炎のフロウッ―!』
―ズガァァァァァン―
「ギャァァァァ!!!」
(ハラショー…。まるで爆発したような精神干渉だわ…。)
亜里沙は初めて目の当たりにする希の実力に圧倒されていた。絵里もかなり高い実力を有しているが、希はそれ以上かもしれないと感じていた。
「ばっ、馬鹿な、たった1バースで全滅…!?」
「残念やったね。ウチはサポート系のスキルしか使えないんじゃない。使わなかっただけや。言うやろ?『能ある鷹は爪を隠す』って♪」
「くっ、ふざけたことを…!!」
「さあ、亜里沙ちゃんを放してもらうで?」
そうして無事亜里沙は希によって解放された。女たちはリーダーに無理やり叩き起こされて逃走していった。
「希さん、ありがとうございます!私、本当に、怖くて…。」
そこから先は言葉にならなかった。緊迫した状況から解放された安心感で亜里沙は涙を抑えられなかった。
「もう大丈夫。あの女は過去に悪さしてたからウチと絵里ちで懲らしめたことがあったんや。今回のユニットラップバトルで絵里ちがユニットのリーダーになったことが気に食わなかったんやろうね。ごめんな、亜里沙ちゃんを巻き込んでしまって…。」
そんなことないです。―言葉にしようとしても、涙でちゃんと伝わったかは分からなかった。
希は亜里沙が泣き止むまでずっと優しく抱きしめていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
その夜、亜里沙は帰り道に起こった出来事を絵里にすべて話した。話を聞いた絵里は妹が無事だったことに安堵しつつも、希の様子を聞いて落ち着かない様子だった。亜里沙はどうしても気になってしまい、絵里になぜ希とチームを解散することになったのかを尋ねてみた。絵里はゆっくりとその理由を語り始めた。
かつて希とチームを組んでいたころは絵里が前衛の攻撃役、希が後衛のサポート役だった。ある日、絵里が強敵と戦ってやられそうになったときに希が本来使えないはずの攻撃系スキルを使い絵里をかばったのだそうだ。希は彼女だけが持つ特別なマイク、スピリチュアルマイクを使用すると攻撃系のスキルを発動できるようになる。しかし、その代償はとても大きい。ラップスキルは使用者の人格と結びついている。本来持ちえないスキルを発動することは、使用者の精神を激しく消耗する。絵里は他人を思いやるあまり自己犠牲すらいとわない希を心配すると同時に、自分が希とチームを組んだせいで彼女が傷ついてしまうことを恐れて自ら解散を申し出たのだそうだ。
(じゃあ、私を助けてくれた時希さんは―)
話を終えた後の絵里の表情が、亜里沙の心にじんわりと残り、離れなかった―。
(終)
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