ヘビーローテーション

人がラジオについて文章を書いていたので真似をする。

初めてラジオを聴いたのは小学6年生だった。
当時の僕には見た目も思想も大人びた友達がいた。
その友達がFMを聴いていると言っていたのが格好良く、僕は一緒に話したいがために父親が持っていたウォークマンでFM802を聴き始めた。

短い人生の間で音楽に触れてこなかった僕にとってラジオの世界はとても新鮮だった。
とはいってもバンドやDJの名前を1つも知らない僕はただただ番組を聴き流して時間を過ごしていた。
ヘビーローテーションというシステムも知らない僕は、毎時間流れてくる声の高いボーカルの曲を聴いて1人で「変なの」と思っていた。
それがクリープハイプの『おやすみ泣き声、さよなら歌姫』だということは数年後に知ることになる。

僕がラジオとの距離を少しずつ近づけているうちに小学校では席替えがあり、内気なイメージのある眼鏡をかけた女の子の隣の席になった。
自己紹介の時間を経てもよそよそしいままだったが、ラジオを聴いていることが格好良いと思っていた僕はあるときの会話でそれについて話すと、その子も普段からラジオを聴いているようで打ち解けることができた。
当時のヘビーローテーションだった石崎ひゅーいの『ファンタジックレディオ』について話した。この日はふたりで「変なの」と思った。

その子が平日21時から24時前まで放送されているROCK KIDSという若者向けの番組を教えてくれて、学校でその話をすることが日課になっていった。
その子が持っているNiko and...のトートバッグを見て、「NICO Touches the Wallsや!」って言ったら笑ってくれたのを覚えている。恥ずかしっ。

その子とは席替えしても仲よくしていて、AKB48が人気絶頂だった時代に「ヘビーローテーション歌ってや〜」みたいな会話を野球部の同級生に聞かれ、からかわれたけれどへっちゃらだった。まだヘビーローテーションってAKBと思ってるんや。おれはヘビーローテーションの[Champagne]聴くけどな。

中学に上がるとその子はコンタクトにしてテニス部に入り、外交的な性格になっていった。学年の男からもてるようになってた。面白くなかった。

その子は隣のクラスだったけれど出席番号順で並ぶ集会のときはたまたま座る位置が横だった。毎回、いるかな〜と思って集会に行ってた。中学1年のときは集会の度に何回か喋った。
当時の僕はラジオ好きの友達と番組にリクエストを送って名前を読んでもらうことに夢中で、その子にもラジオネームを伝えた。
階段や廊下ですれ違ったときに聴いたよ!って言ってもらえるのが嬉しかった。それだけ。もっと喋りたかったなって3年間思ってた。今も思ってる。

中学2年のときに塾の自習室に行くと、その子が彼氏と2人で勉強していた。僕はずっとノートに好きなバンドの名前を書いていた。[Champagne]は[Alexandros]になっていた。


お互い別々の高校に上がり、僕は邦ロックの沼にどっぷりと浸かる生活を送っていると、たまたまその子と下校の電車が同じになることがあった。一緒に帰った。話を聞くと、その子はベースを始め、高校ではガールズバンドを組んで充実しているらしい。僕の学校には軽音部がなく、バンドを好きな友達もそんなにいなかった。毎日毎日バンドをやりたい欲求だけ募らせていた僕は、その子の話を聞くのが苦かった。ギターの練習すらしてないのに。

その日からしばらくは下校の度にその子が車両にいないか探していた。やがて、諦めた。彼氏のことは聞けなかった。いつからかラジオは聴かなくなっていた。


それからずっと経って大学進学に合わせて僕は京都で下宿を始めた。
京都での生活にも慣れてきたある日、LINEの友達欄を見ているとその子のプロフィールが目に入った。自分の手で作ったピースを写した何の変哲もない写真だったが、背景に見覚えを感じた。

すぐに僕は友達のインスタグラムのフォロー欄からその子のアカウントを見つけ、開いた。手段から速度まで本当に気持ち悪いと思う。
画像の投稿欄には僕が住み慣れてきた京都の街並みが広がっていた。僕の大学の隣の美大に通っていた。

そしてその子と思われる画像を見てみると、その子はカメラを首から下げ、センター分けで細身のスキニーを履いた長身の男と、ボブで大きな丸眼鏡をかけたオーバーオールの女の子と3人でアイスキャンデーを食べている写真を、フィルム加工して載せていた。



うーん、そうかあ、そういう感じかあ。


またいつか話す機会があったらいいなあ。

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