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「お前だけブスだよな」

昨晩高校の時の友達と話をしていたら「クラスの男子が女子をランク付けていた。」というまぁ、在り来りな話になった。私は決して美人な部類では無い。顔は小さくないし目も一重(良くない方の)。何より鼻が低い。これが何よりのコンプレックスである。部活の男子に(そいつは一瞬で辞めていった)「お前が組んでるバンド、お前以外のメンバーはみんな可愛いよな。」と言われたことは死んでも忘れない。確かにメンバーはみんな可愛かった。それぞれがそれぞれに可愛い部分があった。しかし、彼が言いたかったのは「お前だけブスだよな」ということである。

なんという屈辱 侮辱であろうか。

私は人の「可愛さ」というものを「写真で見るより動画で見た時に可愛さ、愛嬌を感じてしまう人を本当に可愛い人」だと思っている。これは性別、人種関係なしである。
例としてぼる塾のあんりさんを挙げたい。先日のラヴィット!でディズニー特集をしていた。あんりさんは絶叫アトラクションが苦手らしく、タワーオブテラーを乗ることになったが彼女だけ乗らず1人チュロスを食べていた。そこにファンの方がやってきて飴を差し上げていた。それに対しあんりさんは「え!いいの?ありがとう~! あとで2人にもあげるね。」と穏やかに優しく接していた。その姿が何よりも可愛らしく抱きしめたくなった。これが心からの「可愛い」ではないか。

私は決して世の中の美人な方を貶したい訳では無い。そりゃあ長澤まさみさんや井川遥さん、クロエ・モレッツ、エマ・ワトソン等、とてつもなく美しく可愛い方は素晴らしい。その美に到達するためにはストイックな精神によって成り立っている。私にはできない事。美しすぎてため息が出る。しかしここで私が言いたいのは「人には人の可愛さがある。可愛さは単一的なものでは無い。」ということである。

人には人の可愛さがある。それがわかる人もいれば分からない人もいる、それで良いのではないだろうか。こんな私だが彼氏は一応私のことを「可愛い」と言ってくれる。白目をむいてヨダレを垂らして寝ていても幻滅することなく接してくれる。友達は数少ないが「今日もいい感じじゃ~ん!」と言ってくれる。私もそれに対し「あんたもキメキメでアゲじゃ~ん」と返す。幸せだ。

私に対し遠回しにブスと伝えた彼は「可愛い」に対する認識が浅く単一的であまりに自己中心的なものであったのだろう。なんと寂しい人生か。「こいつは可愛いこいつはブス」としか認識できないなんて。心の中の空条承太郎が「お前のような低俗的な精神が俺の気高い精神に勝てると思うな。人の容姿を貶す前に己の精神を磨け。人を深く見るんだな。」と語りスタープラチナでぶっ飛ばしている。

人には人の可愛さが絶対にある。自分でそれを慈しんで欲しい。そして受け入れてくれる人を無条件に大切にして欲しい。


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