某ゲームのサービス終了に伴いまして

某ゲームのサービス終了に伴い、引退していたり爆散したいにしえのユーザたちが蘇ったので、Twitterを見るのが捗りまくりの今日この頃。

ガサゴソとみんなの反応やとりとめのないツイートを眺めていて、色々と思うところがあった。

多くの人間があのサーバーで人生を影響しあって、彼らなりの思うところを表明していた。私はすっかり引退状態でログボだけ貰う感覚で界隈にへばりついてのだけど、最後にこんなご褒美貰えんのかよって思わずドラ泣きならぬX泣きのこの夏最後だった。(え?)

自分は自分と全く関わりのない人狼民をウォッチするのが大好きで。同じ人狼ゲームをしていて、全く違う場所にいて、少し似てたり全く違う考え方をしたりする人を知れることで下世話な好奇心を満たしていた。
特に好きなのは飛び抜けてクズな人達や同じ血が流れているのかも疑わしいレベルの陽キャとか。
そういう人達は初心者村をさっさと切り上げるとゴリゴリ野良評価回すよりも身内村とかハウスに行って、そこでコミュニティ築き上げていた。
そういう私が真似しようと思ってもできないことができるのは純粋に尊敬できた。一方同時に、やはり彼らにも人狼民としての血が流れているのか問題行動を起こして、せっかく築き上げたコミュニティを爆破してしまったり、自然な時間の流れとともに霊圧が消えるのもひとしおだった。

身内村とかでつるんだりしているの純粋にうらやましかった。やっぱり人狼ゲームで彼女作ったりセックスしたかった。だって私も男の子だし。

そうやって界隈ウォッチしているなかでも人狼民の付き合ったり別れたりという話とは特に大好物だった。人間と人間が交尾したりしなくなったりする話になぜこんなに敏感なのか自分でも不思議だ。
たぶん私自身のコンプレックスに深く絡んでくると思うのだが、こんな人狼民のけったいな別れ話に私のどのへんのどんな呪いを投影しているのかはよくわかっていない。
でもまあとにかく好きだから妖怪ウォッチしてたよぷにぷに。

それでまあ当然っちゃ当然なんだけど、多くの人狼民が付き合って別れる一方で、中には無事に結婚までゴールインするような人たちもいたのが今回復活していた人たちを見ていてわかった。
そういう人たちは人狼民同士のカップルじゃないのがほとんどで、人狼民同士で今もうまくいってる人っていうのは圧倒的に少ない気がした。(もちろんいるにはいるようだが)

この前たまたま私が区役所に行った時、区役所で手続きを待っている間だけで、だいたい10組くらい区役所に婚姻届を提出しにきている人がいたのでかなりびっくりした。
世界ではこれほどの人間が結婚しているぞというのを見せつけられて、そのまばゆい祝福の光で私の闇はいっそう深く暗く沈んでいくような思いがした。

いまだに人間がなぜ結婚するのかはわからない。そして結婚したならなぜか離婚することもわからない。
ライフイベント法によれば、結婚というストレスにたいして社会的に再適応するためにかかるスコアを50とすると、離婚する時は73、万が一配偶者が死ねば100のストレスがかかるらしい。

結婚するだけでも相応のコストを支払うにも関わらず、私みたいな精神病キャリアにとってはこれから死ぬまでずっと人生が魔の領域に取り込まれるリスクと常に隣り合わせで暮らすことになる。

果たして結婚する意味とはなんなのだろう。

あるいは私が人狼民のカップルに興味を抱くのは、そこらへんの答えを求めているからなのかもしれない。
そんな風に思ったりした。
結婚したり子供を作った人狼民に対してどんな気持ちなのか聞いてみたいが、今となってはどこか遠い存在のように感じる。

私が人狼ゲームをはじめてやった当時は、まだTwitterがマスに浸透する前だったような印象がある。

当時の私は(そこももうサービス終了してしまったが)某bbsに入り浸っていて、まあそれなりに頽廃したインターネット青春を楽しんでいた。ある日、そこの住民に人狼ゲームができるおもしろいアプリがあるからやろうずみたいな感じで誘われて人狼オンラインXをインストールをした。

私を誘ったやつとはそれきりだったが、私は一気に人狼オンラインにハマって、、というわけにはいかずたしか受験のためにスマホを没収されるとかあったので全然まともにプレイできていなかった。

そのせいで2016年とかの黄金期を地味に逃していて人狼オンラインXライフをかなり損している気がする。ちなみにスマホ没収されてたのに受験はクソ失敗した。親から認識されずに隠し持ってたiPadに学校のWiFi使ってらきすた全話やあらゆるゲーム実況をダウンロードして狂ったように見ていたから。それで受験に失敗して滑り込んだ最低保障の大学に入学すると、そこからは反動で一気に人狼ゲーム80戦くらいのめり込んでプレイしたような気がする。なぜか80回超えたときのことをよく覚えてるんだよな、100とか200とか逆に全く記憶にない。

キルアの仮面を使ってるチンカス人狼がシスメタで霊媒師騙って村をグチャグチャにされたり、人狼デビュー三回目くらいのときに身内色の強い初心者村で初日騎ょひしたら貫通されてありえないくらい叩かれて脇汗がとまらなかったり、微評価村にたまたまいた黒光りに死ぬほど煽られてめっちゃ悔しい思いをしたりした。

散々たる思い出なのだが、濃密かつ鮮明でどこを切り取ってもドチャクソにおもしろかった。

それである程度評価村で人狼ゲームをやるようになって、ごく自然にネームドの人狼民たちに漠然と憧れを抱くようになっていった。人狼オンラインXのwikiでまとめられるようなプレイヤーたちがゲームで集める注目というか承認は無比だった。私も承認欲求を満たすことを目的に派手でうまいプレイを試みるも、あまり思うようにはいかなかった。それで私はそういうの割と突き詰めたいタイプだから人狼ゲームの強さとは何かみたいな行くあてのないとこへのモチベーションがフツフツと湧いてきて人狼にのめり込んでいった。

当時はのぞみではなくFOGというコテハンを使っていて、人狼民との濃い関わりというのはなかったように記憶してる。強いて言うなら来世という人狼PLの前世で使っていたリアル兼音ゲー垢みたいなのにつながっていたのでちょこちょこと絡みがあった。あとみすちーはかなり序盤からずっと安定して視界にいた記憶がある。

そう。それで来世が転生してうまく言ってるすのを見て私も名前は親しみがあってかわいらしいのにする必要があるなと思って私ものぞみというコテハンに変えた。のぞみという名前は中学で学年一かわいかった女の子の名前からとってる。名前というのは不思議なもんで、それだけで本当にインターネットコミュニケーションがめちゃ円滑になった。ちょこちょこ村に呼ばれたりするようになったり、例えば村でお痛をしても明らかにFOGのときより許容されるラインが低くなったのを感じた。

そのくらいのときに猫姫にも出会った。はじめて一緒になった村だけは明確に覚えていて、epで人狼ゲームについていくつか意見交換をした。すぐにこのプレイヤーはすごいなと思った。猫姫が感じていること体現しようと思っていたものは、多くの平均的な人狼民が抱える鬱屈した思いを代弁しているものだった。それでいて本人にはカリスマ性があった。完全にンドゥールの悪には悪の救世主が必要なんだよ的な存在だった。人狼オンラインXが猫姫というプレイヤーを産み育て上げた。

私はそこから猫姫の名前を使って微評価村や長期に参加して辻説法をかまして、猫姫様の教えとして啓蒙活動に従事した。実際にはごく短期間だけの活動期間だったような気もするのだが。ただ猫姫がぼっかぼかに村を荒らしてる裏で、普通にプレイするだけですごいすごい言われるのでかなり充実していた。

それで猫姫関連がメントリというリア狂にぶっ刺されて落ち着いてからは長期村に腰をすえることになった。それである時アプデきっかけにXでもうプレイする気がなくなって、そのままLITEへ移行。
to be continued……
X長期はoj、harhich、ソリストらへんが熱かった頃によくやっていた。彼らはネームドや上位plであっても、短期民と違ってかなり手心がある感じの国民性だったように思う(あくまで短期と比較して)。短期とは全く違う文化で、なりきりから流れきてる人が多くて、その影響もあってか逆になんというかプレイヤーメタ?中身考察?というか中身信仰みたいなのが薄い環境だった。こっちのほうが当時の自分には馴染が良かった。一番印象に残っているのは野良長期でレミリアとドリフターズの織田信長がバチクソに喧嘩してた村、周り萎えてるレベルのバチクソ喧嘩なのに二人ともロールプレイだけはちゃんとしててコイツらイかれてると思ったね。

あとはきのたけ村でコキンちゃんの仮面使ったplが占い師出たんだけど、ojが真に見れないってイジメすぎて泣かせた村。この泣かせたというのが比喩じゃなくて本当に泣いてるとわかるくらいログに感情こめられてて、当然一瞬で廃村してしまった。私はなんというか人狼ゲームは芸術だなと思った。これのせいで感情のこもったログが性癖になった。

結局、ojもほうたるとかいう人狼PLと揉めて、まあ元々恨みを買いやすい人だったし実質的にパージされてもうた。ojさんは人狼ゲームのこと人狼側が出題者で村人側が回答者という捉え方していて、個人的に人狼ゲームに対する考え方のブレイクスルーだったから尊敬している。強い人はゲームの捉え方から違う、村陣営の勝利・狼陣営の勝利というゲームの終了ラインにそれ以上の意味を持たせられて、それを言語化できるのはやっぱりかなり頭が良いんだと思う。
あとはアルパカっていうコテハンのまいんちゃんの仮面使ったPLに粘着してたことも思い出した。

本来の人狼ゲームの楽しみ方って配役とか新役職とかのルール?企画?をガチャガチャいじくり回してエンジョイするのが一般的じゃないすか。その点、Xはもう15村オンリーでゴリラチンパンジーのスーパーストイックな環境だったからあんなに競技性に満ちたバーサーカーな空間になったんでしょうね。本当に楽しいゲームでした。

人狼ゲームをやっていて本当に仲良くなった人って思い返すと一人もいないような気がする。もちろん皆さんには本当に良くしていただいているのですが、一番の友達っていわれると微妙でしょう。人狼ゲームで人生変わりましたみたいなこと言ってる人にウンウンと共感しつつもどこか冷めた自分もいる。

自分は人狼ゲームにおいていつもやるせない気持ちから意味もなく怒っていたように思う。
その「怒り」は内からくるもので、誰からのものでもなくそれゆえに行き場のない強い思いだった。あの頃の自分はバラバラだった。
多くの人間と関わり合っていく中で、私に必要なのは「許し」なのだと気付いた。許しを得るためには、もちろん許されるような人間にならなくてはいけないのだが、それは中々ままならないものだった。
怒りや破壊以外で自己表現がしたかった。
もうXで許されることはないのかなと思うと、私にとってはそれが一番さみしいことな気がする。




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