困ってる人に声かけちゃう話

よく話しかけられる性質の人間であると自負している。
いろんなひとに切符の買い方とか、道順とか、PCの設定とか聞かれがち。わかんないときも一緒に考えがち。
でもこれって別に人助けって大層な感じもしない。助かってる人は明確にいるから、人助けではありそうだけど。

今年の夏、帰省した地元の駅前のロータリーの横断歩道のど真ん中で、車いすから落ちてる人を見かけた。手を出すか考える間もなく、手荷物を邪魔にならないところに置かなくちゃと場所を探していた。
さすがに、そこを素通りして迎えにきているであろう自分の家族の車に乗り込むことはできなかった。

わたしが荷物を道端において、車いすから落っこちてる人のところへ向かおうとしたとき、同じような動きをしているおばさんがいた。力の入ってない人をわたし一人で横断歩道から動かすのは無理だと思ってどうしたもんかと考え始めていたし、そもそも車いすと同時に運べる自信もなかったのでマジで安心したのを覚えている。

もうひとり、おろおろした女性もいた。彼女はどうやらその車いすを押してたひとで、車いすから落っこちてる少女の母のようだ。
知らない人たちとの会話の第一声は、「足持ってもらえますか?」「はい、上半身お願いできますか?」だった。

落ちてる少女の年齢はいくつくらいだろうか、高校生か、大学生か…体格は成人女性ほどあったと思う。腰から下に力の入らない状態で、尿バックを持っていた。車いすはリクライニングしている大きいタイプ。自分で座位を保てないので、車いすに乗せて押すと下にずり落ちるという、もっとどうにかならんのか?仕様の車いすで、乗せることができたから安心とはならなかった。

わたしは上半身を背後から羽交い絞めにさせてもらって、お母さまには尿バックを、知らないおばさんには足をお願いして、せ~の!でいったん車いすに乗せる。そこから、付属のベルトをして進むのを試みるがどうにも落ちる。抑えながら押して進む、落ちる、せ~のでまた車いすに乗せるを何度も繰り返して、何とか横断歩道からバス停のある歩道へ移動した。

ここまでで、わたしも知らないおばさんも同じことを思っていたと思う。

「車もタクシーの手配の様子もないけど、このひとたちはどこまで行くんだろう?」

長くもない横断歩道を渡り切れない状態で、お母さまひとりで車いすに戻すこともできなかったのに、一番近い立駐までだって、今3人がかりで何度も止まりながらなんとか渡り切った横断歩道の3倍以上ある。どうすんの、これ。

聞けば、最近車いすが変わって、落ちないようにするベルトが規格外でないらしいこと、タクシーに乗れる車いすでないので乗れないこと、車もないこと、普通に歩いて30分のところに家があって、いつもは何時間もかけて道行くひとに助けてもらいつつ何とか帰宅していること。

う~~~~~ん、突っ込みどころは満載。あまりにも現実的でないし、いつも誰かの手をかりる想定でこの真夏にその状態は無理がある。そもそも落ちた車いすに戻すのだって、尿バックの管がつながっててなかなか不安だし、難易度高い。ちょっともうちょっと考えたほうがいい…けど、どういう家庭かもわかんないしなあ…。

病院で手配してもらう救急車みたいなタクシー手配したことがあるけど、それにはまあまあお金かかるし…車を利用しろは、免許と自家用車の有無とかハードル高いし…
結局すったもんだしてるうちに、わたしを迎えにきた母がなかなか出てこないわたしを探して車から出てきて戸惑う。一緒に手伝ってくれてる知らないおばさんも同様に、迎えの旦那さんがなにしてるんだ?と戸惑いながら合流。

最終的に、知らないおばさんご夫婦の車の後部座席を倒して、リクライニング式の大きな車いすを分解できるだけして折り畳めるだけ畳んで乗せて、知らないおばさんご夫婦の旦那さんが運転で、お母さまは助手席で道案内しながら前を走ってもらい、わたしの家の車の運転を母が、その後部座席で(座位が保てないため)知らないおばさんと私で落っこちてた女性を挟んで支えて追尾してご自宅までお送りすることとなった。

力の入らない人間って本当に重い。車の後部座席で、筋肉が震えるほど力を入れながらなんとか支えていた。知らないおばさんは実は福祉関係の仕事で、同じ症状のひとの対応もしたことあったようで、送り届けた後、「対応が冷静で、ためらいがなかったし、ずっと介護か福祉の仕事のひとだと思っていた」といわれた。本当にそうなら、もっとうまい具合に運べたと思うんだけど、及第点だったということかな。

これは紛れもなくその場限りの人助けだったと思うんだけど、これですごく帰りが遅くなったし、母のことはわたしが巻き込んじゃったし、わたしひとりだったらなんとも思わなかったけど、仕事終わりの母を振り回してしまったのでいいことばかりでもないなと感じるなどして、後悔はしてないけど複雑な心境だった。わたしじゃないもっと適任があのあと手を出したのかもしれないし、今度からおせっかいは考え物だなとちょっと思ったりもした。

そんなこんなで先日、仕事を収めて同じく地元の駅に帰省した。
改札を出た瞬間、人が倒れるのが見えた。遠目で駆け寄った人が見えて、迎えの父ももう待ってると連絡があったし、また何時間もかかっちゃうとなあ…もう助けは入ってるみたいだし…とスルーしようとした瞬間、駆け寄ったひとと目が合った。

「出血してるみたいなんですけど、ティッシュかなにか持ってる方いませんか!」

父だった。早く着いたので、改札前まで迎えに出てくれていた父だった。父が先にもう駆け寄っちゃってるしと吹っ切れたので、カバンを放り投げていったんハンカチを取り出しながら、起き上がらない様子を見て救急車へ電話を掛ける。父にハンカチを渡そうとして、衛生面で不安がよぎり、ひっこめてティッシュ持ってる方いませんか、とわたしも周囲に声をかけながら駅員さんを呼びに行く。

駅員さんにティッシュか、なにか止血できるものをお願いできませんか、救急へは今連絡していますと早口で伝えきると、救急と電話がつながった。
父は誰かからティッシュを手に入れてすでに止血に入っていて、意識を確認している。救急からの質問を声に出して私が復唱すると、それを受けて駅員さんが教えてくれたり、父が倒れた人に質問したりした。

石の床にうつぶせのまま倒れている男性は意思疎通できるものの、膝をついて止血しているわたしたちですら冷えてくるような状態だったので、マフラーを小さく丸めて頭をそっと乗せて楽な体位にし、駅員さんは布で体を覆って暖をとれるようにと対応してくれた。

ティッシュはより出血してしまうので、布をあてておくのがいいらしい。

倒れた人は76歳男性で、妻が迎えに来ているはずなのだと教えてくれた。駅前のロータリーまで出ると、車の中で何度も電話を掛けるそぶりの女性が見えて、いちかばちかで車の窓をノックした。男性から苗字をお伺いしていたので、奥様ですか?ときき、状況を説明して車を止めてそばにいてあげてほしいと伝える。

15分か、もうちょっとか…しばらくして救急車が到着し、身分証明と事情聴取を受けて、わたしと父は帰路につくこととなった。

また手を出してしまった、とちょっと複雑な気持ちもありつつ、無視しない父であったことをうれしく思うなど…。
救急車を呼ぶようなことだったのか、駅員さんを呼ぶだけでよかったんじゃないのか…、いいことしたね!と手放しには思えないけど、でもまあ倒れて起き上がらない人を横目に通り過ぎるひともたくさんいるなか、「大丈夫ですか?」が言える父と自分に少しだけ安心したりもする。

翌日の夕方、電話が鳴った。奥様からで、頭は問題なくもう自宅へ戻れたとのこと。お礼がいいたいとの電話だった。お気になさらず…といったけど、どうも気が済まなそうな雰囲気で身分証明にわたした名刺の勤務先にお手紙かなにかが届きそうな感じではある。
かえってご面倒をおかけしてしまっていて申し訳ないんだよな…。

無事が何より。年始はご家族で迎えられそうでよかったし、ほんとうにそれでいいんだけどな。

でもたぶん、またなんかあったら声かけちゃうんだろうな。