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母に 『ありがとね!』を言えた日

昨日、私が台所仕事をしていると、母が『何か手伝おうか?』と声をかけてきた。私は、『いいから、寝てなさい(前日ほとんど母は寝てなかった)』と言った後、『ありがとね!』と母に言った。

私は、そんな自分に内心、『えっ!?初めてじゃん、そんな言葉がけ!』って驚いて、思わずくすっ!と笑みが零れた。

私は日々、重度認知症の母を在宅で介護している。介護は、とても綺麗事では語れないと気がついたのは、母が腰椎圧迫骨折による入院から退院し、認知症が発覚した今年1月の頃だった。

当時は、まだ骨折療養中でまだまだベッド上生活だった。元ナースである私にとって介護は経験ずみだったため楽な方だった。しかし、それは、違う様相を呈し始めた時に脆くも崩れ去った。

母が急に攻撃性を増し、手が付けられないほどに暴れた時である。

私は、暴れる母に毎日イライラし、精神が崩壊した。また、母は、割と動けるようにはなっていたため、暴れるだけでなく行動範囲が増えた。数分も見離せない状態の日々が続き、不眠不休、私の全てが崩壊した。

そして、ついに、精神科の門を叩くことになり、母を3ヶ月間の『家族のためのリフレッシュ入院』をさせた。私の負担は、洗濯物を週1で届ける位に変わり、疲れが取れ睡眠も確保出来るようになった。

久しぶりの父親との2人暮し。趣味のカラオケも十分満喫した。そして、6月家族のためのリフレッシュ入院を終え、母は退院した。

退院後は、以前行っていたデイサービスは、母の体力を考慮し、行かないことになり、入浴(シャワー浴)も週3位で私が入れている。

病状は、むしろ入院前より進行しており、ここ最近は、毎日のように徘徊、不穏、幻覚、幻聴、さらに性格も攻撃性が増している。そのため、7月より安定剤、眠剤を服用させるようになった。

安定剤、眠剤を服用しても、手に負えないことも多々ある。それは、父が、母に過剰に反応してしまい、さらに母を不穏へと掻き立てるためである。

父にその都度説明し対応を諭すが、父もまた軽い認知症なのである。説明してもしても理解してもらえず、今度は父のメンタルが崩壊し始める。ここ最近は、この状態の無限ループである。

しかし、ふとした時、思うのである。『私自身のメンタルは崩壊してない』と。

確かに毎日私自信が不眠であったり、身体が疲労困憊はしている。たまに、数日間不眠でダウンしていたりはするが、意外なほど、『私、それほど不幸じゃない』と思うのである。

母が暴れて、私を攻撃してきても、イライラして母に暴言を浴びせることがなくなった。以前は、本当に恥ずかしい話であるが、暴れる母につい、怒りの言葉をぶつけてしまっていた。

今は、それがなくなった。

うちの母は、いわゆる世間一般で言う『毒親』であった。若い頃から、母から価値観の違いを押し付けられ、大切なものを沢山失った。私は、母が認知症になった時に、『毒親』への感情を抑えることができなかった。

いつしか、母への『憎しみ』は消えていた。介護をしている自分を労る気持ちも増えてきた。肉体的には、まましんどいことが多々ある。それでも、『自分を不幸』だとは思わないのである。

次回、それを紐解くことにする。





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