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朝のirodoriエッセイ「鏡に映るもの」

「鏡に映るもの」


薄青色の晴れた秋空が高い函館からおはようございます。


足元をカサカサと音を立てて通っていく枯れ葉。


歌いながら数羽で飛び立つすずめ。


今朝は小さき茶色いものたちがいっしょに散歩してくれているような通勤路でした。


昨日の眞子さま(小室眞子さん、とお呼びするのですね)の服の色、これまでもよくお召しのミントグリーンでした。


やっぱりお好きなミントグリーンを選ぶんだ!と感じたのと同時に、ミントグリーンと呼ぶことに少し違和感を感じました。


いわゆるミントグリーンと呼ばれている色域よりも高明度低彩度で白に近い色。

どちらかというと白緑や青磁色を思わせる気品を感じました。

青磁って宋の時代から焼かれてきた独特の灰みのある青緑色をもつ磁器です。

平安時代に伝えられてそのあまりの美しさに「秘色(ひそく)」と呼ばれたのだとか。


白緑なんかは銅が酸化した錆びである緑青のさらに粒子の細かいものがもつ色。繊細な色です。


この「青み」が奈良の枕詞「青丹よし」の岩緑青です。


(※参考『日本の色辞典』(吉岡幸雄))


このように、東洋の歴史に欠かせない青緑という系譜。


欧米の方々にはどう見えるのかわかりませんが、東洋の文化をもつ人たちにとっては、今回眞子さんがお召しになった「高明度低彩度中間色」に、気品を感じたのではないでしょうか。

極限まで白に近い青緑のもつ美。


背景色は暗めの弁柄色でしたが、明度対比が起きて、より白っぽく見えていたかもしれませんね。


さて今日は「鏡に映るもの」。


以前実家でチャコという猫を飼っていました。

シャム猫の兄弟の中で一匹だけ生まれた茶色いトラネコです。

私が14歳の時、母の手のひらにすっぽり入るくらいの小さいサイズで我が家にやってきて、それから私が35歳になるまで21年間生きました。

私はいまでもチャコを自分の姉のように思っていて、いつも私の横で眉間にしわを寄せて、私のやることなすことを心配そうに不満そうに見ていたチャコに、なんでも相談していました。


ときどき私はチャコを抱き上げて鏡の前へ行き、いつまでも私たち二人が映る鏡の中を覗き込んでいたものでした。

この広い世界でこの二人がいま一緒にいるというこの好ましい境遇、言葉を超え、生き物の種類を超えて共有しているこの沈黙、みたいなものを見ていたかったのです。

そういうときチャコは、とても複雑な顔をしていたものです。

啼きもせず、観念したような表情で、「麻子が人間でわたしが猫であるということをまざまざと見せつけるこの無粋なものを、あまり直視したくないのよ。でもまあ麻子がこうしていたいんだったら少しなら」というようにすこしうつむいていました。


チャコには鏡というものはどういう概念として捉えられていたのでしょうか。


以前リクルートで働いていたとき、釧路出張の途中に、とあるビルの1階のお手洗いをお借りしたことがありました。


前髪を直すためにふとそこの鏡を覗き込みました。


「ああ、ずいぶん遠くまで来たなあ」とふと感じました。


蛍光灯の青い光に浮かび上がる、スーツを着て少し緊張している青ざめた私の顔がそこにありました。


今回の出張がなければ立ち寄ることのないビル。そのビルの鏡に映る私。


なんとなくそのとき、「釧路の鏡にも映ってしまった」と思いました。

まるで鏡というものが、どこかとつながっていて向こう側の誰かに存在確認をされる装置のような感覚になりました。


そしてその感覚は実はいまでも続いています。


自分の顔や服装などを確認するために物理的に映すためだけのものではなく、なにかその瞬間に生存のすべてを凝縮して向こう側に「居ますよ」ということを伝達するすべのようなもの。


鏡に映るもの、映らないもの、その違いは何であり、
そして私たちが鏡を覗き込むとき、私たちは何を確認しているのでしょう。


誰も覗き込まない鏡に、街ゆく人などの光景が映し出されてるけれど、誰も見ていないときは何が映っているのでしょう。

街ゆく人にまぎれて誰かが映っているのか。あるいは何かが欠けて映るのか。


村上春樹さんの作品には井戸と鏡がよく出てきます。


その影響かもしれませんが、自分が今日も鏡に映っているなとときどき思います。


だって羊男は鏡に映らないのですから。


こんなことを考えながら木枯らしの朝を歩いていると、
実存を失いそうになったので、あわてて散文的なコンビニエンスストアに入り、散文的な買い物をしてきました。


LOOK青い宝石だって。


色が商品価値になっている例。

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