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朝のirodoriエッセイ「自分より若い人は可能性のかたまり」

「自分より若い人は可能性のかたまり」。

うすい雲が広がる函館からおはようございます。

11月がやってきました。

アスファルトの灰色と銀杏の黄色のコントラストが11月の美しさだと私は思う。文明と自然の融合配色だなあと。

盛りを過ぎて彩度が落ちた花たちも好きだな。

さて最近、立て続けにあるパターンの光景を見かけて、ふうむと思っていることがある。

それは、「自分より若い人は可能性のかたまりだから、その可能性を決してせばめてはいけない」ということ。

これって人類がよくなるために必要だから、本能のように全員そなわっているかと思いきやそうでもないようだ。

たとえば、自分より若い人が、「こういうことをやってみたい!」と言ったとする。

シチュエーションはさまざまあるだろう。家庭でも職場でも「自分より若い人」が「こういうことをやってみたい!」と言うシチュエーション。

そのときに自分はどのような反応をしているだろうか。

私が見かけたのはこうだった。

若い人「あなたのようにそういうことを私もいつかやってみたいです」

言われた人「いや~、大変だよ~、ここまで来るのは難しくてねえ、おすすめしないよ。なにが大変かってねえ~(以下、延々と続く武勇伝や苦労話)」

こういうシーンってよく見かける。

「若い人」は夢や可能性の対象として「言われた人がやっていること」に興味を感じている、つまりこれは「若い人」に属する話題なのに、いつの間にか言われた人が話を持って行ってしまい、「自分の武勇伝や苦労話を話せる機会」だと取り違えて延々と話し、あろうことか、「やめといたほうがいいよ」などと何億光年分もある「若い人の可能性」にぴしゃりと水をかけてしまう場合。

こういうシーンも見かけた。

若い人「(誰かを見て)いいなあ、ああいうの。私もやってみたいと思うんですよ~。楽しそうですよね~」

言われた人「いや~あれはなかなか難しいよ。趣味ならいいけど仕事にしたら大変だって言ってたし、ああみえて苦労が多いし、不安定だっていうし、普通が一番よ(以下、挑戦するタイプの人への否定的意見続く)」

このバージョンは、「若い人」は「誰か」がやっている挑戦や可能性への行動を見て「いいな!いいな!」と言っている。「言われた人」は「自分が夢に挑戦していないことを肯定するために」、普通が一番なんだ、夢を追いかけるなんてふわふわしている、などと夢に挑戦することを否定するトークを繰り広げる。

この二つのバージョンに共通していることは、「若い人」の話なのに、「言われた人」は「自分の話」にしてしまっていること。

こういうよくあるトークでどれだけの若い人が可能性をあきらめたり、まあいいか、と思ったり、振り上げたこぶしを力なくおろしたりしていることだろう。

もし人類に共通の本能があるのなら、自己防衛よりも、目の前の人が光り輝いていくことを喜ぶ気持ちが高まるものなのではないか。

「若い人」は、いろいろ考えられる。後輩、部下、弟、妹、子ども、生徒、友人、仲間、自分より若い人。「若い」というのも年齢だけでなく「経験」や「実績」と考えたらたくさん対象が増えるだろう。

もしも自分より若い人が、瞳をきらきらして「こんなことがやりたい!」といったら、「無理無理」「ダメダメ」「やめたほうがいいよ」を即答するのでなく、「すごいね!」「そう思っているんだね」「もっと聞かせて」「がんばってね」「きっと努力できるよ」「素敵な夢だね」などと一緒に未来を見つめてあげたい。

もしももしも「麻子さんのようになりたいよ」なんて人に出会えたら、「できるよ!」はもちろん、「追い越してね!」といいたい。人類の未来のために、自分より若い人が自分よりすごくならなければならないのだから。自分が君臨していては全体がよくならないのだから。

いろんなケースがあるので一概には言えないだろうが、「勝手なわがまま言わないでよ」「私ばっかり我慢してあなたばっかり」「生意気だ」「まだ早い」などと言うことなく、「がんばれ!がんばれ!できる!できる!」と旗を振りながら、絶対に未来の地球はすばらしいんだって確信して「自分より若い人」とつきあっていきたい。

せめて、若い人が振り上げたこぶしを、振り上げたままにしておくことだけでも応援したいものだ。


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