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朝のirodoriエッセイ「神から架かる橋」

「神から架かる橋」

曇り空が優しい函館からおはようございます。
今日は眞子さまが記者会見なさるのだとか。
最後のお出かけのあれこれを拝見していると定番のミントグリーンに加え、アイスブルーやシャーベットオレンジなど、彩度低めのパステルトーンがお似合いです。
(パーソナルカラー、夏タイプさんなのかしら)
今日はどのようなお色をお召しになるのか拝見するのを楽しみにしております。
いろんなご意見があるのを承知しておりますが、色彩オタクとしてはなかなかないシーンにおいてどの色が選択されるのかに一筋の興味を注ぎたいのです。

さて今日は「神から架かる橋」。

最近キリスト教のことを調べています。
というのも私は幼稚園も短大もキリスト教で、小さい頃は讃美歌が大好きでいつもマリア様が横にいるように思っていたし、短大では寮生活というものをしていて、毎朝聖書とマイ箸をもって部屋から食堂へ行き、寝ぼけまなこで聖書を読み上げていた過去を有する者として、あまりにもキリスト教のことを知らなすぎると思い、あらためて勉強してるんです。
カラーセラピーとかに出てくる欧米における色の象徴的意味合いも、絵画の歴史とかも、キリスト教がわかっていないとどうも本質的なところでぴんと来ないというのもあって。

なんてったって小さい頃はアブラハムは「油ハム」だと思っていて、ベーコンか何かの種類なのだろうなあと思っていたくらいの認識ですからね。十戒といえば中森明菜さんのほうが先にイメージしますからね。(しかもかんぺきに踊れますからね)
そのぐらいもう本当に申し訳ないほどに、わかっていないのです。
これじゃー、色彩を深く理解できないよということでぼちぼち関連書を読む日々。

その中でアウグスティヌスの「告白」に関する説明とか読んでると、ずきゅんずきゅんと身につまされることが多く、
これまでうろ覚えでいた各種の知識というものの中にもしかしたら答えがばんばんあるのではないかと、いま興奮しているところです(単純)。

今読んでいる『キリスト教の核心をよむ(NHK出版)』の中に、こんなくだりがありました。
なんてことのない地の分の一部なのですが、ここに今朝の私は(irodoriへ来る電車の中でさっき読んでたんですが)、いつも降りる電停を乗り越しそうになるほど衝撃を受けました。

それはここ。

「たとえば第一章では、旧約聖書のアブラハムの物語において「人間を探し求める神」というお話をしました。これは「神の方が人間に橋を架けてくる」と捉えることができます。」

神から人間に橋を架けてくる?

どんなイメージだろ。
たとえば私がせっせせっせと自分の生活を毎日なんとか生きていて、その中で「神様、もう少し〇〇したいんですが」とか「神様、私の夢は〇〇です。どうかお願いしますっ」とかいうのは、私から神様へ願い事をしている状態ですよね。
そうではないということですよね。
神様から人間に橋を架けてくるって、
「ねえ、麻子ちょっといい?これやってみない?」
みたいな感じかしら!
きっと本人にとってはまったく予期していない、想像もつかないようなことなんじゃないかしら。
偶然に目の前に現れる何かとか。
誰かから提案してもらう何かとか。
そういえば昨日、ナレッジプラザさんでやらせていただいている「吉田麻子の五冊目を一緒に作る研究会」の日だったんだけれど、
「Voicyとかやってみたら?」とか「色のエピソードを小説に印象的に使ってみたら?」など、私が一回も考えたことのないアイディアを頂戴した。
とびきりうれしかった。
あれは多分「神から架かる橋」なんだと思う。
「えーそんなの無理です」と言わず、その架けられた橋に一歩踏み出してみようと思う。

そう考えたら「本人は意図していないけれど、目の前に来る何か」を「神から架かる橋」と捉えることも可能かもしれない。

起こる出来事への感じ方が、変わりそうだ。

本日も皆様にとって彩り豊かな素晴らしい一日でありますように。


すべてのことに感謝


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