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【短編小説】ホワイトクリスマス

温かい冬のはじまりだった。 
窓際に飾られたコットンフラワーが斜陽に照らされ
カーテンの影に見え隠れしているのが心地良い。

昼下がりまで眠っていた体をようやくベッドから起こす

床に転げ落ちた柄の違う靴下が拗ねている。
私はそれらを拾い矢継ぎ早に洗面台へ向かう。

冷たすぎる水の温度が外の気温を教えてくれる。

お決まりのメイクに一手間加え
赤とピンクベージュを重ね付けした唇は
ふんわりと柔らかい印象になった

お気に入りの洗い立てのシーツの香りがする
練り香水をほんの少し手首につけた

先月の一年記念日に
恋人からもらったマフラーを身につけようと
鏡の前で何度も仕立て直す。

身支度にはいつも時間がかかる。
器用じゃない自分のことを嘆きながら
真新しいペンキの香りがする
靴箱を開けてお気に入りのブーツを履いて家を出た。

クリスマスから一日遅れただけなのに
街はすっかり静かにひっそりとしてみえる
佇むイチョウ並木のイルミネーションが
私を孤独にはさせなかった。

昨日は降らなかった雪を惜しむ恋人たちの姿を見て
緩んだ頬をマフラーで少し隠して走る。

待ち合わせしたベンチの前には
嬉しそうに空を見上げる恋人の姿がある

白くなった息が切れかけたところで
私に気がつき、優しい笑みをこちらに向ける
頷いて私も歩み寄る
自然と差し出された指先が真っ赤になっている

手の中で消えていく雪が儚さを纏って美しい
私たちは今日クリスマスのお祝いをするのだ。

「寒かったろ」と私の顔に手を伸ばし
崩れてもいないマフラーを整えながら彼は言った。

冷えた手が頬近くに触れ
「寒かったでしょ」と私は彼の手を覆う。

遅れたけど、と彼が言ったので
「メリークリスマス!」と揃えて言った。

彼のコートのポケットに手をしまい込んで
私たちはゆっくりと歩き出す。

予約したレストランへ向かう最中
私たちは紛れもなく幸せだった
鞄の中に忍ばせたプレゼントも
きっときらきらと踊り輝いていたと思う

「会いたくてさ、すごく走ったんだ!」と彼が笑う

何故そんなにも嬉しそうにしてくれるのだろう
いつも自分のことよりも私を気にかけてくれる
自分はあんなにも手が冷たくなっていたのに
小さい私の心がもっと小さくなった

左隣を歩く彼の横顔を見つめながら
この無垢で無邪気な姿を何もかもから守りたいと願った

先月から週末になると夜な夜なネットで
レストラン探しに奮闘してくれていた
恋人のかいもあり、素敵なお店に辿り着いた。
私の顔はどんなに幸福に満ちているだろう。

店内はとても温かい。
小さなペンダントライトが
優しく私たちの席を照らしてくれている。

テーブルの真ん中に置かれたキャンドルの淡い光の
揺らぎをみながら彼と料理がくるのを待った

しばらくしてクリスマスらしく
ステーキとワインが次々と並べられる。

白いテーブルクロスによく似合う
銀色のカトラリーに映る自分の姿を見つめた。
ついでに彼の顔も覗いてみると
とても幸せそうに満足そうに微笑んでいる。
まだクリスマスはこれからだというのになあと
私は笑った。
あまりにも愛くるい人だと思う。

ステーキを切り分けたあと
カランとグラスの重なる音を響かせ乾杯する
まるでもうこの世界には二人だけしかいないかのように
お互いに振る舞っている
本当にそうならいいのにと半分願いながら
時間も料理もあっという間に減っていく

「おいしいね」と彼が笑うので私も笑う。

いよいよ最後の砦にクリスマスケーキが運ばれてきた

ケーキに灯された蝋燭がゆっくりと降りてくる
まるでスローモーションのように煌めいている

「こんなに幸せなことってあるかな」私は言った

「あっていいんだよ」彼は言う。

彼の好きなところは私の言葉の奥まですくいあげて
優しく包んでくれるところ。
こんなにも穏やかで愛に溢れた人に出会ったことが
なかった。

この優しさに慣れてしまうのが
どうしようもなく怖くもあった
これ以上望んではきっとあとで大きな不幸が返ってくるのではないか。
いつもそうどこかで調子に乗りそうな自分を抑えていた

そんな私を見透かしていたのかいつも私が
気を遣わないような言葉を贈ってくれる。

甘えすぎないように甘えていたいと思った。
私のずるさまで彼は愛してくれているのだろうか。

グラスに歪んだ自分の顔をじっと見てから
ワインを飲み干した。

ケーキを食べる前にプレゼントの交換をすることにした

私たちはお揃いが多い。言葉を発するタイミングや
同じものを買ってきたり、そういうことが多々ある。


お互いの贈り物をしばらく眺めてから

やっぱり同じだねって囁くようにこだまして一緒に微笑んだ。

小さなクリスマスケーキを切り分け
お皿に運ぶ彼の手が大きく見える

ふわふわの白い丘の頂上には

誇らしげな真っ赤な苺が添えられた

「はいどうぞっ」とこちらも誇らしげにしている
彼の顔があまりにも好きだと思った。

窓の外の煌めきと粉雪が私たちのクリスマスを
見守っている。


ふと彼の出張で1週間会えなかった日々ことを思い出した。私は自分があんなにも孤独になれることを恋人のいない静寂な部屋の中で知った。

淋しさに慣れたふりもしたくなかったし
悲しくないふりもできなかった。

帰ってきて微笑みながら抱きしめてくれた
彼の温度を私はいつまでも覚えていたいと思った。

目の前にはあの時と同じ優しい表情の彼がいる

「だいすきだな、私」

「うん、僕も!」

温かく幸福な雪の降る夜だった
あれは私たちだけのホワイトクリスマス。

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