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禺伝からの刀ステ考察

禺伝と綺伝、禺伝と悲伝から刀ステ考察というか思いついたこと覚書。
禺伝メインに、禺伝と綺伝の関連性、禺伝と悲伝の類似性についてと、刀ステのラストどうなるんだろ~という妄想を書いてます。後半はだいぶ幻覚です。

以前書いた考察はこちらです。長すぎるので要約も書いてみました。久しぶりに悲伝のBDを流しながら、自分で読み返してみた。新作を見たら考察がひっくりかえるかもしれないとおもっていましたが、今のところこのままでアリかな…?と思います。もちろん異論もあると思いますが…むしろ誰か語ろう(・∀・)

≪去年の考察の要約≫
・三日月だけが円環してるのではなくて、ステ本丸とステ本丸が管轄する時間軸もまるっとループしている。歴史上の人物も他の刀剣男士もみんなループしている。三日月は結の目になったといわれているけど、本当は世界の核ではなさそう。
・放棄された世界=円環している時間(隔離された時間)。つまりステ本丸も放棄された世界のなか。
・悲伝でステ本丸が管轄する時間軸は崩壊してしまった。
・ループする前のステ本丸、円環0のときに何が起こったか考えてみよう→ たぶん地獄
・三日月が円環を繰り返すことで少しづつ変化し、ステ本丸の時間が伸びている。
・悲伝以降の、慈伝維伝綺伝も円環の中。
・遡行軍姿のまんばちゃん・黒田如水たちは敵というわけではない。刀剣男士たちに試練を与えて強くし「三日月宗近を救い出す」ことが目的。
※初演染鶴と再演健鶴のルートごとに役者が違う説が有名ですが、ステの審神者は2振り育てている説のほうだと私は思っています。


・物語の二階層目

図1

「物語の二階層目」私はこういうことだと解釈していますの図。
禺伝、今敏作品やクリストファー・ノーラン監督の世界と構造がよく似ているので見たら理解が深まるかも。面白いですよ。(末満さんは両方お好きだそうです)

紫式部さん。最初に読者の男に会ったときは「物語ることによって地獄に堕ちてもかまわない」と言っていたのに、途中から「私の物語を愛してくれた名も知らぬお方を救ってほしい」と言い、紫式部や小少将の君も「源氏供養」の中の人であると明かされると、読者の男と同じことを言い出すので、つまり、本物の紫式部はどこにもいなかった。ということになるんだよね。本物の紫式部の想いは誰にも分からない。

・「顕現実験用疑似本丸」とは?

冒頭の顕現セリフの違和感の正体これだった。嘘の逸話をひっつけた刀剣男士をたくさん生み出して、どう作用するか実験しているっぽい。自分たちが実験台にされていることを知っているのは一文字一家だけで、歌仙と大倶利伽羅は自覚はないのかな。「天伝」で弥助が、刀に別の逸話をつけようとしていたのと同じようなことかも。みんな実験大好きか。

可能性① 禺伝本丸は、時の政府直轄の本丸。

御前が「あらゆる物語は三日月宗近へとたどり着くことができるのか、それをしかと見届けねばならない」と言っている。「无伝」の大千鳥十文字槍も三日月宗近を観測していたが、禺伝本丸の刀剣男士はその延長線上の任務を請け負っているということだろうか。
「あらゆる物語は三日月宗近へとたどり着く」というのは、「物語をオクレ」と同じことを言ってる? この三日月宗近は刀ステ本丸の三日月のことだよね?

可能性② 禺伝本丸が時の政府の管轄だとは誰も言ってないので、黒田如水陣営が運営してる可能性もゼロではない。

禺伝本丸は審神者がいなくなった本丸を再利用してるのでは?というふせったーを読んだのがきっかけで思ったのですが、審神者でもなく政府でもなく「上に」しかられると言ってたので、どうとでも解釈できますよね…。今までの刀ステで顕現の実験しようとしてたのは、主に黒田如水側の人たち(弥助とか阿形吽形とか)だし。歴史と物語が反転するという禺伝の告知ナレーションをしてたのもなぜか黒田如水(演:山浦徹)だったし。維伝、綺伝、无伝の放棄された世界がより地獄展開になるように(刀剣男士を強くするために)セッティングしてたのもたぶん黒田の如水さん…。こっちの説のほうが私はしっくりくる。
だとしたら、禺伝本丸の存在理由も「三日月宗近を救い出すこと」なのだろうか。御前のセリフ「あらゆる物語は三日月宗近へとたどり着くことができるのか、それをしかと見届けねばならない」も黒田如水の実験と目的のことを指しているのかも。禺伝本丸存在意義、不憫…。

・綺伝と禺伝

今までの刀ステでは、刀剣男士が元の主や縁のある歴史上の人物と戦うという展開が続いていました。禺伝では、なぜ光源氏を斬ったのが歌仙だったのか、というのが気になったので考えてみました。

『雲隠』に集った女たちは光源氏を殺そうとするも「憎んでいる、しかし愛しているのです」という。
綺伝でガラシャは「憎くて憎くて愛おしい」と言いながら忠興に殺されたいと願う。
ガラシャと源氏物語の女たちの想いは似ています。

最終的にどうなったかも似通っていて
綺伝の歌仙は忠興の代わりにガラシャを斬る。
禺伝の歌仙は女たちの代わりに光源氏を斬る。

【綺伝】ガラシャ ― (和田歌仙)忠興
【禺伝】光源氏 ― (七海歌仙)女たち

ガラシャは熊本城の最奥で、光源氏は『雲隠』で殺されることを望み、最終的にはどちらも望み通りの結末になります。忠興がすべきだったことを、歌仙が代わりに担うのはわかるとして、なぜ「源氏物語」の女たちの代わりを歌仙兼定が請け負ったのか。これはとてもメタ的な理由です。綺伝のガラシャを演じ、禺伝で歌仙を演じたのが、七海ひろきさん。しかも七海歌仙には、元主がガラシャだったという逸話が付けられている。ここで女たちの代わりに光源氏を殺せるのは、七海ひろきの、女性の演じる歌仙兼定しかいないのです。歌仙兼定に殺されることによって願いを叶えたガラシャでもあり、今回は歌仙兼定である七海ひろきさんしかできないことなのです。陸奥守吉行が坂本龍馬を斬り、歌仙兼定が細川ガラシャを斬り、三日月宗近が高台院を斬ってきて、今度は歌仙兼定が光源氏を斬る意味。禺伝はちょっとメタです。

禺伝、作品の中に三層あるのに、メタ的にもフィルターがかけられている。前作で女性役だった方が今回は刀剣男士である理由もこれ。理詰めで構成された作品だと思います。


・禺伝と悲伝 ——「物語を強くする」とはどういう意味なのか?

禺伝と悲伝は立場を逆転させただけで、共通した部分が多いのでまとめてみました。
この先はだいぶ幻覚入ってるので、読みたい人だけ眉唾でお読みください。

図2

光源氏の骨が発掘されて、源氏物語が史実となる未来(という幻覚)を南泉が見ていましたが、三日月が帰ってくる未来(私たちがずっと見たいと思っているもの……)にはどうしたら行き着くんだろう? 禺伝と、悲伝が逆転しているなら、視点を逆にしてみれば刀ステシリーズの結末も予想できるのかもしれないということで考えてみました。

円環の中=放棄された世界、これは物語・伝説・逸話ともいえる(というかそもそも私たちは舞台を見ている)。源氏物語が史実になる(かもしれない)ように、円環のなかの出来事を現実のものにする方法はないのだろうか。

「強い物語を集めることで三日月宗近を救い出す」というフレーズが何度も刀ステには出てくるんですが、この言葉の意味が私は今までよく分かってませんでした。なんで物語を集めたら三日月が帰ってくるの?
でも「禺伝」が「悲伝」に似ていると気づいて、少し分かったような気がするんです。有名な説話、みんなが知っている伝説、何度も語られる逸話。そういう嘘はときに史実よりも力を持つ。源氏物語は千年読まれてきたことで強い物語になった(史実が元になっていると勘違いしているひともいるかも?)。源氏物語が史実になれる(かもしれない)なら、三日月宗近を未来で再顕現することも可能なのでは……!?
円環の中の出来事も放棄された世界も虚構。でも刀ステの物語が強くなっていけば、いつか、刀ステ本丸も嘘ではなくなるのでは……?(なにいってんの?w)

カテコで七海さんが「戦ってきた身体には物語がある。その物語には心がある。その心を感じて伝える」と言ってました。発掘された骨=光源氏が実在した証 も、「身体に物語がある」と同じことかもしれない。

最後に観客席側にもライトが当たって、則宗さんのセリフで「あの太陽は歴史の空に登るものか、それとも物語を照らすものか」っていうのがありましたが、舞台を照らすのは観客ってこと!? 何度も見ること、見て物語に心を寄せること、物語を強くすること、それができるのは私たち観客……!?というメタ的な「第四の壁を破る」みたいなことを刀ステでやろうとしてません?
というのも『映画刀剣乱舞-黎明-』でこれに近い仕掛けがあったんですよね。
それに刀ステの最初の物語は「虚伝」。最初から、これは虚構だよ作り物だよと示されていたのでは。

という感じで、私は禺伝からこんなことを受信しました。いや、それこそほぼ幻覚ですけど。ちょっと思いついたので書きとめておきました。これがもし当たってたら、刀ステわりとガチな歴史SFなのに解決策メタじゃんってなるんですけどwww まぁ、思いついたので残しておこうかとw

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禺伝、関連作品や引用元を知っていれば知っているほど解像度が上がっていく作品ですね。私は宝塚は全然知らないのですが、過去の出演作の情報などがツイッターで流れてきて、キャスティングからもうそんなネタが仕込まれていたのかと感心しきりでした。源氏物語の有識者の感想や、源氏供養についての解説なども面白く読みました。ネットの集合知すごいね!
それにしても禺伝、悲伝とヴェラキッカを元に綺伝前提で組み立てられた作品という感じがするのは私だけ…?(ヴェラキッカは刀ステの脚本演出家がオリジナルで前年に上演した作品)禺伝とヴェラキッカの関連性については元のふせったーに書いてますので、視聴済みの方は読んでみて下さい。ネタバレです。

今年はまだまだ刀ステがありますね。楽しみです!

ふせったー2023年02月25日より転記


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