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つないだものは、誰かがまたつなぐ

この文章は、スカパー!とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として主催者の依頼により書いたものです。

私は、第一回「星新一ショートショートコンテスト」に入賞して、作家の道に入った。そのままおとなしく本を書いていればいいのに、脚本家、放送作家も兼ね、NHKFMの「青春アドベンチャー」や、ニッポン放送の「オードリーのオールナイトニッポン」なども担当。過去には、腹話術師いっこく堂の脚本・演出・プロデュースも行った。

私のモットーは「一芸を究めない」と決めているからだ。ジャンルを越えていろいろやるからこそ、できることがある。
おかげで、時代もメディアも違うまったく別々の番組に、自分だけはひそかな「つながり」を意識することができるのだ。

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「天下御免」

高校生の時に好きだった番組に「天下御免」というNHKのドラマがある。平賀源内が主人公の時代劇。大ヒットした番組なので、年配の方はご存知だろう。時代劇なのに、突然、当時NHKでやっていた「日本史探訪」という番組が出て来たり、現代の天気予報コーナーが出て来たりする。
「時代劇でこんなことやっていいんだ!」
と驚き、脚本・早坂暁というクレジットを見て、読み方がわからないので(これは、ハヤサカアカツキという人が書いているんだな)と思った。同時に(こんなドラマを作ってみたい)とも思った。
 
その後私は脚本家とか放送作家と呼ばれる仕事になったが、当然のことながら、私なんかにそんなテレビドラマは作れなかった。
が、細々と仕事を続けていればチャンスは来るもので、たまたまラジオのニッポン放送から「時代劇の連続ドラマを」という珍しい注文が来た。これ幸いと、「幕末三姉妹」というオリジナル時代劇を書いた。ペリー来航時にワイドショーのリポーターが浦賀から中継をしたりするドラマだ。
パクリ? いえ、オマージュです。
 
さらに、私はいま全国の都道県を舞台にした新作落語を柳家花緑さんに書いている。香川県の回では、平賀源内がタイムトンネルをくぐって21世紀に現れる「時穴源内」という落語を書いた。源内は現代の香川県出身なのだ。

「ザ・モンキーズ・ショー」

中学生の時は「ザ・モンキーズ・ショー」が大好きだった。もちろん元はアメリカのテレビ番組。実際のザ・モンキーズが売れないバンドとして出演するアメリカお得意のシチュエーションコメディだ。これはザ・モンキーズそのものが大スターになり、番組はその後何度もリピートされているから、若い方もご存知かもしれない。
ドラマの間に突然、彼らのミュージックビデオがインサートされる構成が斬新で、「カッコいい!」と思ったものだ。
 
ずっとのち、NHKFMの青春アドベンチャーというドラマ枠で細々とオーディオドラマを書いている頃、プロデューサーがポロリと「モンキーズショーが好きだった」と言うではないか!
「ほんとですか? ぼくも好きなんです!」と意気投合し、「ゴー・ゴー!チキンズ」という連続ドラマを書いた。売れないバンド・チキンズのドラマ。これもオマージュだ。

「シャボン玉ホリデー」

小学生の時に好きだった番組は「シャボン玉ホリデー」。さらに古い話題で申し訳ないが、これも伝説的な番組なので有名だ。ザ・ピーナッツとクレージーキャッツでおなじみ。音楽とコントと踊りの正統派バラエティだ。
これを見て育った同世代の放送作家はみんな、「あんな番組を作りたい」と言うが、もうそういう時代ではないから無理だということはわかっている。
が、私の中では秘かに、かなり変則的ながらオマージュ企画が実現しているのだ。しかも、二つ。

「ガチョ~ン!」

小林信彦原案・藤井青銅脚本・大瀧詠一演出のラジオドラマ「マイケル・ジャクソン出世太閤記」(ニッポン放送)という特番があった。
マイケル・ジャクソンがなぜか日本に来て、谷啓さんの我嘲禅師に出会い「ガチョ~ン」を会得して、開眼。そして発表したのが、あの「スリラー」である…という小林さんらしい原案を、私が1時間ばかりのドラマ脚本にした。が、ナマ放送中にドラマ編集が間に合わず、放送時間を延長したことで有名になってしまった。

当時の手書き台本コピーは今も持っている

これはマイケル・ジャクソン大ブームに乗ったものだが、小林さんと大瀧さんのもう一つの狙いは、谷啓さんに「本物のガチョ~ンをやってもらう」ことにあった。当時、シャボン玉ホリデーを知らない世代によって「ガチョーン」のやり方が乱れていた(?)からだ。
小林さんが編集した「テレビの黄金時代」というムック本に、写真つきで「正しいガチョーンのやり方」が載っている。それによると、
A  さあ、困った。返す言葉もない
B 呼吸をためて…
C 裂帛の気合で
D 万物を掴みよせるように
…ガチョ~ン!
とある。谷啓さんにこれを実際にやってもらった。
 
ドラマ収録はとても楽しかった。
収録の合い間、ニッポン放送の喫茶コーナーで、狭いテーブルに4人で座って雑談した。私の隣に大瀧さん、向かいに谷啓さんと小林信彦さん。若輩の私はほぼ聞いているだけだったが、夢のような時間だった。

「ハラホロヒレハレ」

それとはまったく関係なく、日本テレビで「内村さんちと南原さんちの国民的音楽祭」という特番をやったことがある。当時私はウッチャンナンチャンとよく仕事をしていたからだ。

基本は音楽番組だが、お笑いの要素もある。その中で、バンド演奏のギターソロがえんえん続いて終わらないというギャグがあった。弾くのはうじきつよしさんだ。
自己陶酔していつまでも一人でギュイィィ~~~ン…と弾き続けるうじきさんに、バンドメンバーが詰め寄る。ハッと気がついてギターを止める。メンバーは睨みつける。ややあって、うじきさんはカメラ目線で、
「ガチョ~~ン!」
バンドメンバー全員がハラホロヒレハレと崩れ落ち、さらに周囲から番組スタッフたちもハラホロヒレハレとなだれ込んでくる。…という「シャボン玉」の定番だ。
 
(シャボン玉とか、ガチョ~ンとかハラホロヒレハレとか、若い方はわかるだろうか? 不安になってきたが、今さらやめられないので続けます)
 
この特番では、私もなだれ込むスタッフの一人としてハラホロヒレハレができるのだ!
当日スタジオに行くと、プロデューサーに、
「土居センセを呼んでおいたから」
と言われ、驚いた。
振り付けの土居甫さんだ。かつて、元祖ハラホロヒレハレに参加していた方。さらに、ここは「シャボン玉」をやっていた日本テレビだ。ガチョ~ン&ハラホロヒレハレの時は、カメラがぐわぁんぐわぁん……と揺れるのがキマリなのだが、
「今日は、当時カメラを揺らしてたカメラマンの方だから」
と言われ、さらに驚いた。
 
収録時、私たちスタッフ十数人は遠巻きに囲んでバンドの演奏を見ている。なだれ込み要員だ。タイミングを見て、土居センセが「それっ!」とスタッフたちの背中をたたくと、私たちはハラホロヒレハレ…となだれ込む。それをカメラがぐわぁんぐわぁん……と揺れて撮った。
 
後日、編集をすませたディレクターに、
「藤井さん、嬉しそうにハラホロヒレハレしてたよ」
と言われた。

***

時代が違い、メディアも違う。おまけに私が関わった番組は大ヒットしたわけでもない。知らない方がほとんどだろう。
しかし数は少ないながら、どこかで誰かが聴いてくれたり、見てくれたりはしたと思う。ひょっとしたらその中の何人かが面白いと思い、いつかそれを元ネタにした番組や企画をやってくれれば嬉しい。
エンタメというものはそうやってアレンジされ、形を変えながら受け継がれていくものだから。

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さて、現在私は「オードリーのオールナイトニッポン」を担当している。私はたいしたことはしていないが、オードリーの頑張りで人気番組だ。
この番組も将来、誰かがアレンジして、つないでいくのだろうか?

藤井青銅(ふじい・せいどう)
23歳の時、第1回「星新一ショートショート・コンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。アニメージュに連載した小説『死人にシナチク』シリーズはライトノベルの源流とも呼ばれる。
ラジオでは「夜のドラマハウス」、「青春アドベンチャー」など数百本のドラマを執筆。現在はオードリーのオールナイトニッポンを担当。
また、腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行って大ブレイク。最近は落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。
著書は『ラジオな日々』『ラジオにもほどがある』『「日本の伝統」の正体』『ハリウッド・リメイク桃太郎』『幸せな裏方』『一芸を究めない』『一千一ギガ物語』など。

 

※本記事は、特集「#好きな番組」への寄稿として執筆しました。

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