219.ラジオの人

 ドン上野、といっても普通の方はご存知ないだろう。本名は上野修。ラジオ界では有名な人物で、かつてテレビに押されて気息エンエンのラジオを若者のメディアとして立て直した人と言われる。
 世間には「家つきカーつきババァ抜き」という言葉を作ったことや、せんだみつお氏を育てたことで知られている。『宇宙戦艦ヤマトの長時間生ラジオドラマ』を作った、前回アニメブームの仕掛人といえば、思い出す世代の方もいるだろう。もっと古い世代だと『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』だろうか。

 多くのタレントやスタッフを育てたことから、ラジオ界では上野学校とも呼ばれた。実はぼくは放送作家として、この上野学校の末席に連なるのだ。ラジオに限らずテレビ、小説、ステージ、すべてに共通する「送り手としての基本姿勢」がここで身に付いた。
 自ら「ドン」と名乗るぐらいだからシャレのわかる人であり、また、怖い人でもあった。とはいえ、なぜかぼくは一度も怒られたことがない。たぶん「こいつは小心者だから怒ると萎縮する」と見抜いていたのだろう。
 このドン上野が先日亡くなった。71歳だった。年齢から逆算してみて驚いた。ぼくは上野さんの元で『夜のドラマハウス』という番組の脚本を書いたのが放送デビュー。だがなんと、その時の上野さんの年齢に、ぼくは今しだいに近付きつつあるのだ!

 ひるがえってみれば、今のぼくにはとてもあれほどの存在感と、後進を育てる力量はない。脱帽。

【モンダイ点】
◎ラジオ仕込みのせいで、ほくはテレビでも小説でもゲリラ的なことをやりたがり、顰蹙を買うのだが。

(2002/7/31)

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