こんな歌詞あったっけ?

これまでさんざん聞いてきた名曲。その歌の内容は知ってるはずなのに、他の歌手がカバーしたのを聞くと、「ここにこんな歌詞あったっけ?」となる所がある。あまりに耳なじんで、「人の声」を「楽器と同じ音」として聞いてたのか?
……と先日Twitterに書いた。あなたには、そんなことないだろうか? ぼくだけかな?
書いてから「なんでなのかなあ……」と考えだしたら、長くなりそうになってきた。こっちで、続けて考えてみよう。

まず、聞く側の理由。
「いつもの馴染んだ声」とは違う「新しい別の声」なのでより注意して聞く、という点があるだろう。おそらくこれが一番大きい。
当然楽器のアレンジは違うし、同じメロディでも、歌手の歌い癖で譜割りが少し変わる。馴染んだ曲でも、いつもと少し違う部分があれば、人の注意はそこにいくものだ。だって本家が歌っていても、ライブバージョンだと、違う部分はすぐ気づくしね。
ましてやカバーは、別の人が歌っているのだ。「へえ。ここ、こんな風に歌うんだ」と気になる。するとその部分の歌詞の、言葉としての意味をより意識して「こんな歌詞あったっけ?」となる。

次に、歌う側の理由。
カバーする歌手は、(おそらく)「有名なあの人の曲を私が歌うんだから」と、より歌詞の言葉を意識して歌っているんだと思う。そういう気持ちは歌声にも現れる。だから、歌詞の内容が聞く人に届きやすい。
だいたい、名曲をあえてカバーしようという人は自分の歌唱力に自信があるにきまっているもの。本来、その歌声には説得力があるのだ。

そして、カバーするという行為。
一般に、アマチュアのカバーは「本家に近づけるモノマネ」になりがちだけど、プロのカバーは「いかに本家と違うか」ということを考える。だって、ソックリじゃ本家に勝てるわけがない。
とはいえ、無暗に変えりゃいいというものでもない。正確に言うと、「本家の大事なツボは外さずに(リスペクト。これが大事!)、いかに本家と違うか」ということだ。
そうやって、同じ歌から本家とは別の魅力を引き出せたなら、成功!

まあ、これは歌に限らず、他のジャンルでも同じことだろう。落語、講談などの口演ものがこれに近い(古典作品に「本家」はないけど、先人の名演がそういう扱いになる)。芝居の再演や映画やドラマのリメイクも、似ている。
ぼくがやってる仕事では「脚色」がこれに近い。原作へのリスペクトを忘れずに、いかに変えるか。…なかなかうまくいかないけど。

そんなことを考えながら、あらためて本家の歌を聞いてみた。
すると、もう何十回何百回聞いてきたはずなのに、「ここにこんな歌詞あったっけ?」という所があったのだ。もちろんサビではない。それ以外の部分、あるいは二番の歌詞とかだけど。
つまり、ぼくは元々、本家の歌を実はちゃんと聞いちゃいなかったというわけだ。
大変失礼をば、いたしました!


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