ラジオ表紙

「ラジオな日々」  その3

 この本の発売時いろんな方からいただいた「言葉」で、記憶に残るものを記しています。

ラジオの放送局のスタジオは、なんとなく真っ暗であるような気がしていた。

 歌人・枡野浩一氏の言葉。
 書いていただいた書評の中の言葉。深夜ラジオは、自分が暗い部屋で聞くことも多いから、ラジオの現場についてもそう思ってしまうリスナーの気持ちは、わかる。
 この本の中で、まだ半分素人の「ぼく」が、はじめて文化放送の深夜放送「セイ!ヤング」の現場に行くシーンがある。その時の感覚に通じるものがあったので、よく憶えている。

一回しか書けない本ですから、私が担当したかった。

 編集者O氏の言葉。
 この本は小学館から出たが、それを見て、他社でぼくの担当だった編集者が言った言葉。意味は「青春期の自伝的作品というのは、その作家にとって一回しか書けない。だから、自分が担当したかった」というもの。
 そんな風に思ってくれるのは、とても嬉しかった。
 この編集者は、ぼくの本を数冊出してくれたのち、出版社を退社した。しばらく連絡がなかったので、「どうしてるかな?」と電話してみると、「実は、藤井さんにはもっとも報告しにくかったのですが…」と照れながら、「落語家になりました」とショーゲキの告白をした。この時彼はすでに厄年(42)だったのだ!
 現在の芸名は、立川寸志。今年、めでたく二ツ目になる。

暗闇に差した一条の光に頼る姿が印象に残ります。

 Y大K教授の言葉。
 主人公が自分の将来に悶々とし、暗闇に見つけた一条の光を頼りに(間違っている進路かもしれないが、そこを頼りにするしかないのだ)作家になろうとする。そのシーンに共感できたという。
 まだ何者でもない自分が、どうやって世の中と関わっていけばいいのか…と煩悶するのは、古今東西の若者に共通すること。毎年、大学から多くの卒業生を送り出している身として、感じるところが強かったのだろう。
 K教授とは去年知り合った。発売して7年も経った本のことを、こんな風に憶えていてくれたのにはビックリし、嬉しかった。偶然ぼくと同い年だったその教授は「私たちの時代も、今の若者も、悩みは同じですよね」とも言った。

あれは藤井くんとの“THE YEAR”だったね。

 大瀧詠一氏の言葉。
 大瀧さんはこの『ラジオな日々』の中にも登場する。そこに書かれた「マイケル・ジャクソン出世太閤記」をはじめとして、大瀧さんとぼくが濃密に仕事をした一年があった。当時についてのメールのやりとりの中に、この表現があったのだ。
 光栄な言葉だし、この本の内容にもピッタリだったので、そのまま本の帯用にもらった。
 その後も、大瀧さんとは何度か仕事をした。マイケル急逝の時は、再放送でまたお会いした。まさか、2013年の暮れにあんな結末が待っているとは、想像もしなかった。
 2014年、お別れの会の時に、本書をあらためて手に取って見た。帯にあるこの言葉が眼に痛く、なんとも言えない気持ちになった。
 …とやや感傷的に締めたが、大瀧さんは例によって「ぐふふ…」と愉快そうに笑うだろうなあ。

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