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クイーンズギャンビット、やっぱりつまんなかった。キャラ作りをハチワンダイバーに学べ!

1.全部観たけどやっぱそんな名作でもない
2.ハチワンダイバーを見習うべし!
3.でも穴埋め問題的な教材には良いかも


※目次風だけど、目次ではない笑





ようやく全話観終わったが、色々と中途半端な話だった。



途中まではまだもしかしたら巻き返しあるか?とかすかに
期待は残したものの…

過去記事
「クイーンズギャンビット、面白くないよね?」

https://note.com/sayatan/n/n29f09c0e1f62







この話は一体、何が描きたかったのか?
7話で終わるならこんな感じで観終わった後に「この作品はこんな話だよ」とひとことで説明できるテーマが欲しい。




・孤児の子供が貧乏夫婦の家に招かれ、ひょんなことからチェスプレイヤーの才能に気づき賞金稼ぎで親孝行を始めいびつだが幸せな家族のかたちになっていく物語


・中毒ジャンキー傾向のある女がようやく自分が本当にのめり込めるもの、チェスと出会えたことで「チェス中毒」になって朝から晩までチェスのことばかり考えて常人の数十倍のスピードで強くなっていく更生と成長の物語


・産みの親を失い人生の希望を失いかけた少女が、チェスの師匠と出会い、育ての親と出会い、ライバルたちと出会い人々との出会いが彼女の人生を変えた!ああ、生きるって素晴らしい!

みたいな。
いや、あったのかもしれないがそれを読み取るまで深く観れていないし、1話目の時点でそこまで観る気にさせなかった。

 
あしたのジョーのようにチェスの師匠みたいなおっさんが傍で成長を見守るわけでもなく、
主人公にチェス教えたら用済みと言わんばかりに消えたし、
師匠やライバルなど人との交流を通じての成長物語ではない。 

ジョーが詐欺で少年院送りになるような悪ガキからボクシングと出会い人として成長していったようなチェスプレイヤーとして内面の変化が描かれたかと言うとそうでもなく、大事な試合前に酒飲んで遅刻するし、お前にとってチェスってそんなもんなん?って印象。

こうして引き合いに出してみるとあしたのジョーは不朽の名作たる土台がしっかりとある。チェスの天才を描くと言うテーマであれば、将棋マンガのハチワンダイバーでも読んで将棋命なキャラの立て方を勉強して欲しい。

鬼のように将棋の強いアキバの受け師・そよさん



ハチワンダイバーは、将棋のプロになれなかった者たちが賭け将棋の世界で熱い戦いを繰り広る
将棋マンガとしてはかなり異質な作品だったが、作者の将棋愛と、描きたいテーマはビシバシと伝わってきた。
とにかく、将棋は深く、熱く、人生を捧げられる唯一無二のものと作者が思っており、登場人物たちもその価値観で生きている。


大抵の将棋マンガはプロを目指したり、プロの世界の話を描くが、ハチワンの主人公は元奨励会会員で
プロまであと一歩のところで挫折した「将棋以外何もできない人間」。
金も将棋でしか稼げないので、賭け将棋で日銭を稼ぐ「真剣師」として死んだような日々を送る中で、超絶に棋力の高いメイドと出会い、熱く激しい人生が始まった、という導入。


そしてその後出会うライバルとなっていく将棋指しも、ホームレスや漫画家などプロ棋士にはなれなかったが「自分には将棋しかない!金も名誉も当然女にもモテない。俺は将棋を指すしかないんだ!!」というくすぶった現実の内面に宿る猛烈な将棋熱を盤上にぶつけ、主人公に襲い掛かってくる。

漫画家の文字山先生は盤上の駒と一人で会話しながら指すスタイル。ジョジョのスタンドバトルのように、熱い。



このキャラの凄まじさ、鬼気迫る将棋愛のぶつかり合いはまさに命を削った戦いとなり、ついには死人まで出てしまう。
アカギみたいにペナルティに命を賭ける、のでなく、本当に燃え尽きるほど思考を擦り切らせ盤上でぶつかり合った結果「絶局」という絶命に至る対局で幕を閉じる回がある。その後も将棋マンガなのに死人続出。
「絶局」なんていう言葉、この漫画で初めて聞いたと言うか、他に言ってる人を見たことがないが、当時ヤンジャンを
読んでいて「すげーとこまで来たな」と思ったのを覚えている。作者も1話目ではこんなことになるとは思っていなかったはずだ。

殴り合いよりも将棋の戦いの方が上だという精神


キャラたちのエネルギーがグイグイと物語を盛り上げ、こいつらがぶつかったら到底ただでは済まない、それこそ命を懸けるほどの、という地点に必然的に到達した。クイーンズギャンビットの登場人物は脚本書き切ってから撮ってるだろうからそういうキャラの変化とか勢いみたいなのは足りないにしても、なんか物語を進める駒として「喋らされてる」域を脱しない。なので勝とうが負けようがセックスしようが別れようが、結構どうでもいい。

プロになれなかった者たちがその負の念で将棋を指し続け、のちに主人公たちと戦うことになる裏の将棋界に君臨するアマチュア最強集団「鬼将会」の登場も胸が熱くなった。プロ棋士育成機関である奨励会であと一歩のところまで行った主人公ですら「プロは遥か遠い別次元の存在」と言うのに、鬼将会は「そのプロを倒す」という恐れ多い目標を標榜し、「自分達こそ最強だ」ということを証明するのを目的として活動している。

彼らは地下深くにアジトを構え、日々鍛錬に勤しんでいる。闇の組織だから地下に潜伏しているわけではなく「将来核戦争が起きて文明社会が崩壊した時、将棋盤を持って地上に出ていき、生き残った人類で将棋を指して真の王を決める」という日に向けての準備であるという、かなりイカレた集団。
しかしこんな敵ですら、本当にこいつら将棋が好きでたまらないんだな、というのが伝わってくる。

クイーンズギャンビットの主人公も、かつてのライバル(というかただの対戦相手)がチェス主体の生活から
一般的な進路に向かっていくという対比を終盤で描くなら、なおさら「大学や就職の道を選んだ奴らと違い、私にはチェスしかないんだ!!」という熱いものを出して欲しかった。

ハチワンダイバーとはもともとは81マスの将棋盤に深く潜り、答えのない無限に広がる宇宙のような将棋の世界で
戦う棋士たちのことのつもりでつけたタイトルだったそうだ。

主人公が途中で自分を「ハチワンダイバー」と名乗り
思考を深く巡らせる際の「盤面へのダイブ」という他の棋士がしない描写をするようになってから作品の方向性が定まった感じ。周りも主人公を「ハチワン」と呼ぶようになったあたりからジワジワと、そして中盤で主人公のオリジナル戦法「ハチワンシステム」を生み出してからはしっかり「ハチワンダイバーの主人公」として物語の中心にいた。途中で武闘キャラたちによる格闘漫画になっていた時期もあったが。

主人公が他の将棋指しと差別化されているのは
ダイブとハチワンシステムという独自の武器によるもの


クイーンズギャンビットというタイトルは「駒を先に損する代償に、展開や陣形の優位を求めようとするチェスの定石で、精神の病と引き換えにチェスの才能を開花させた主人公の生き方の暗喩」

らしい。

ということは冒頭に挙げたようなテーマがあったということか。
しかし、あんまり伝わらなかった。
そんなに天才と言うなら、ハチワンシステムのような新しい定石でも生み出すか
セックス中もチェスのこと考えてて男の体の攻め方も戦法が表れてるとか、なんか「常人とは違う異質さ」が欲しい。

最後の方にいきなり再登場した孤児院仲間の女も「あんたに会いたかったんだよ!」みたいな感じで
ベストフレンド感を出していたが、え?お前今の今まで登場しなかったくせに、そんな関係なの??となってしまった。
7話しかないなら、そこから逆算して登場人物をもっと絞るとか、見せたいシーンの前フリはしっかりしておくとか、
仕掛けておかなくては効果が出ない。まだ主人公が落ち込んでる時にあの孤児院仲間に電話したとか、支えて貰ったとかいうシーンがあれば説得力があるが、ろくに連絡も取り合ってなかったくせに「お小遣いはたいてあんたの載ってるチェス雑誌買ったのよ」みたいなこと急に言われても・・という。


原作小説ではもっと丹念に天才性を描いてくれたのかもしれない。
「クイーンズギャンビットは素晴らしい」と言っている記事も
演技が良い、女優が良い、映像の雰囲気が良いと言うあまり内容には触れない褒め方をしている。

Noteにも面白い!グイグイ引き込まれて止まらなかった!と書いてる人もいるが
そんな熱いものが込み上げてきたなら具体的に語りたくなるもんだろうに、と思うが
内容には特に触れていない。
最終話で何かどんでん返しというか、これまでの6話分の積み重ねが大爆発したかというと、さほど盛り上がらず
すうーっと終わった印象。もう一度観たいか?と聞かれたら、もう二度と観なくて良い。


それとも俺が考えすぎなだけで、絶賛してる人たちは
「可愛い女の子が、歴戦の強敵たちを、その才能でバッタバッタと打倒し、富も名声も手に入れる話・・・あー!面白かった!!」
ってくらいの感想で、もう次の別の作品にハマってるんだろうか?
それがエンタメを最も楽しむ正しい姿なのかもしれんが。

冨樫はつまらん映画を観てる時ほど「ああしよう、こうしよう」とアイデアが沸き創作に活かされるそうだ。どうしたって打ち切りにしかならん漫画はひたすらにつまらないが、磨けば光る惜しい漫画も中にはある。才能ある作家10人で「こうしたら良い」とディスカッションした結果の作品でも出来上がったら面白そうなので観るとしよう。

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