例のバチェロレッテ記事の序章

非常に面白かったバチェロレッテ。

多くの人が言うように福田萌子という人の人間性に惹かれたのは言うまでもない。しかしアフターローズのトークセッション時我らが萌子は突然眦(まなじり)を決して「私。私の旅」と言い張り、頑なに真実の愛、結婚がどうのと言いつのった。高貴さと美貌と迫力で辛うじて男どものヤジを蹴散らしてはいたけれど、論理的にはやぶれかぶれで破綻していた。

「愛はコップから溢れた水」と類まれなる比喩能力をもって真実に迫って見せた杉田陽平にほだされることもなく「ここまで思ってくれるなら真剣に応えなければいけない」と、またも彼を拒絶して見せた。まるで愛とは投げられた球であり真剣に投げられたなら投げ返さなければいけないというような杓子定規的な言動は、「愛とは花びら」「愛とは溢れた水」という杉田陽平の到達した領域には到底届かず、今まで男たちの心情を分析的に言い当ててきた彼女の知的さまで疑わずにはいられないものだった。

どうした萌子。

なんでここにきてこんな頑迷な地雷女みたいになってしまうの。

みんなが愛した君はなんだったの。…なんだったのか自分なりに考えてみた。


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