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私と父。(最終回)

こんにちは。
いよいよ私と父。シリーズも最終回を迎えました。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

前回のお話はこちら。


体調不良になる

ありがたいことに、春の気候と共に父の体調は見違えるほどに回復していきました。
一方で、私の体調に異変が生じるようになりました。
呼吸がしにくい、夜眠れない、気が遠くなる、めまい…いろんな症状が一気にあらわれてきました。
病院に受診するも、異常はみられず、心身の休息が必要とされました。
自分でも気が付かない間に、自分の心と体のバランスを失っていたようです。これは、自分の心の声に耳を傾けなかったことで招いたんだと思いました。
そこで、実家からしばらく離れ、少し心と体を休めることになりました。
実家を離れる日、父と「ありがとう」と言って握手。人の目もはばからず二人で涙を流しました。


父とテレビ電話

私は、実家を離れてから数日は泥のように眠り、少しずつですが体調も戻ってきていました。
父は、日中も一人でも生活できるまでになっていましたが、それでも心配は尽きませんでした。
お昼、3時頃、夕方、頻繁にテレビ電話をして父の様子を確認し、家族とも状況を共有していました。以前も自分に今できることをやってサポートをすると決めていましたが、私も以前とは違う感覚で過ごすことができました。


やってみようと思う

無気力だった父も、連絡をとると
「テレビを見ていた」
「洗濯物をこれからいれる」
「散歩いってくるわ」
「本を読んでいたよ」
そんな返事が来るようになりました。
とりあえず、「やってみようと思う」と意識が変わったことがとても嬉しく思えました。


苛立ち、睡眠が増える

季節がめぐり、離れて暮らした私もすっかり回復。
実家との行ったり来たりが増えました。
父の様子を見ていると、起きている時間が減ってきているようでした。
通院の車中や、食後、テレビを見ていても、気がついたら寝ている、横になっていることがまた少しずつ増えていきました。
そして、母に対して怒りを表すこともさらに増えました。おおよそ怒るきっかけをつくっていたのは母だったのですが…
母は怒る父を見て今までと違うなにかを感じ取っていたようでした。


急変する

転院してから、医師との関係も良好でしたが、治療の効果というのもいよいよ期待できなくなりました。そこで医師から別の治療方針の提案をうけることに。
治療を受けるには、入院が必要とのことで、家で、みんなで年越しをしてから入院しようということになりました。
そうです、季節は冬になっていました。
父は、いつもどおりご飯を食べていました。起きているときはみんなと話すこともありました。
来年はみんなでどこにいこうか、なんて話すこともありました。
私も就職が決まり、新しい職場で働くことも決まっていました。
年が明けて、父の入院を見届けたとき。

「なんか、今回は今までと違う」ふと、父が言いました。

自分の体に起きている変化を察知していたのだと思います。
そう言ってから、父はあっという間に歩くことも、ご飯を自力でたべることもできなくなりました。
そして、自力で呼吸をすることもできなくなりました。
皮膚が乾燥し、唇が切れて血で赤くなる。
体をやさしく撫でる。
手をにぎる。
話すこともできなくなり、酸素吸入しないと呼吸をするのも難しくなりました。日に日に変化していく父を見守ることしかできませんでした。

看護師の方から「耳は聞こえているから」と
教えてもらったので、話をしたり、父の好きな演歌を流して過ごしました。
父の兄弟、母の兄弟やいとこたちみんなが協力してくれて、母と一緒に交代で父の様子を見守っていてくれました。



朝方に母から父が亡くなったと連絡が来ました。
父永眠。68歳。

この頃、コロナが全国で流行する直前だったと思います。
ドラッグストアでマスクは品切れが相次いで、マスクを探していた頃です。
コロナが猛威ふるう直前で葬儀を執り行うこともできました。

葬儀にはたくさんの方にご列席いただき、多くの方から父の話を伺うこともできました。
私達に見せていた「父」とは違う一面も、そこにはありました。
誰に対しても、真面目実直に一所懸命に向き合っていたんだと知ることができました。

父が守ってくれた

この頃、姉はお腹に新しい命を授かっていました。
ですが、父の様態が変わるのと同じ頃、切迫早産の危険があるとのことで絶対安静が必要でした。
そんな状況を乗り越え、新しい命が誕生しました。
男の子でした。
甥っ子のする仕草は、面白いくらいに父の仕草と瓜ふたつ。
父の気配を感じて心が温かくなりました。

「きっと、父が守ってくれたんやね」


お父さん、ありがとう

実家を出てから、何年ぶりかに一緒に過ごした父との時間。
あのときの選択は間違っていなかったと、そう思うことができています。
父と過ごせた時間が、今の私を支えてくれているように思います。
これからも、その時その時で、最善の選択ができるように過ごしていきたいと思っています。
そして、父と過ごした時間で当たり前のことばかりですが、改めて多くの気づきもありました。

  • 時間は有限であること

  • 生きていること、食べれることは当たり前ではないこと

  • 自分の体、心の声を置き去りにしない

  • 一人で頑張ろうとしない

  • 自分がどうしたいかにフォーカスする


父が亡くなってから、夢の中に頻繁に出てきた父。
目を覚ますと流れていた涙も、ある日を境に笑って父の姿を見送ることができていました。
それ以降父は私の夢には出てこなくなりました。

「うん、もう、大丈夫」

「お父さん、ありがとう」


おわり

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