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夏を送る 2   さやのもゆ

今から19年前の8月6日、母方の祖母は87歳で亡くなった。脳梗塞に罹って引佐の病院に入院したのは6月のことだったが、ある日を境に見る間に症状が悪化し、口もきけなくなってしまった。四十日間にわたる叔父や母の献身的な付き添いもかなわず、怖れていた最期の時はあまりにも早く訪れてしまった。

 亡くなる前日の午後3時過ぎ、会社にいた私のもとへ母から電話があり、祖母の容態が急変したことを知らされた。急いで病院に駆けつけると、その時意識のあった祖母は私に気づき、赤い眼を潤ませて顔をそむけた。-生きた祖母と目を見交わしたのは、これが最後となった。

のちになって母は、祖母の最期の様子をこう話した。-ふつう人が亡くなる時間帯は、朝か未明とかが多いと思うけど、おばあちゃんはお昼を過ぎて2時半ごろまで頑張った。でも、駄目だった。

 もはやこれまでという時に、叔父が祖母に向かって手を差し伸べた。すると祖母は、それにすがりつくように最後の力を使い果たし、叔父の腕の中で沈むように息を引き取ったのだと。

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亡き祖母は、今から40年前、昭和53年に祖父が亡くなって三ヶ日の実家に帰ってきた叔父が新しい母屋を建つ時に、もとの母屋を小さく改装して移築した離れにいつも居た。

 母は毎週金曜日になるとスクーターを走らせて西気賀から農道で引佐峠を越え、祖母のもとに出かけていった。

「今思えば、おばあちゃんは私が大谷(おおや)に着きそうな時分になると、離れの上がり端に座って待っててくれたのかなと思う節があるの。着いたときに声をかけると、すぐに玄関の中から返事が返ってきたから。入院したのも金曜日、お母さんが来るのを待っていたのかなって-。それに、亡くなった日も金曜日だった。おばあちゃんって、不思議だね。」

 祖母の死からなかなか立ち直れない母ではあったが、祖母を看取るまでの四十日間の出来事を少しずつ、私に話してくれるようになった。そのうちのひとつは、入院した祖母に付き添うようになって間もないある日のこと。母は看護師さんから「お母さまを少しお散歩にお連れしてはいかがでしょうか?大丈夫ですよ。」と、すすめられた。

 母はさっそく、祖母を車椅子に乗せて病室を出た。北病棟の廊下を曲がると渡り廊下に出て、まっすぐ南病棟に通じている。7月始めの曇りがちな天気であったが、渡り廊下をゆっくりと歩いていく間に時折、横からの風が窓を吹き抜けていき、祖母の頬に触れたようだった。つかの間の戸外の空気を感じて、気持ち良さそうにしていたという。ふたりは南病棟の入り口の前で引き返し、病室に戻っていった。

-短いお散歩だったけれど、あの時そうしておいて良かった-

母はいつもそう言って、話を結ぶのだった。



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