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奥浜名感懐-引佐峠-/さやのもゆ

五月の連休もあと数日と迫った午後。母の実家である三ヶ日の祖父母のお墓参りに出かけた。
 国道365号を西進し、天浜線西気賀駅の先で右折して踏切を渡る。さらに山手に続く狭い坂道を上りきると、広域農道「オレンジロード」に合流する。引佐町奥山地区を起点に谷を遡って山腹を巻き、町境の尾根を乗っ越して上下の起伏を繰り返しながら、三ヶ日の摩可耶地区まで延々と続く道である。西気賀からの合流点より三ヶ日町境、引佐峠までは急勾配な上り坂が、ほぼ直線的に山腹を切っていく。その、尾根を大きく回り込んでからの、強引なまでに厳しい道のりの様相は、数キロ以上東側の下気賀辺りの山腹からも、それと分かるほどだ。さて、軽自動車を唸らせて引佐峠に到達すると、今度は尾根に沿って蛇行を繰り返す急な下り坂に変わる。車がつんのめりそうになりながら、ようやく道がゆるやかな直線に変わるところ、道路沿いの斜面に祖父母のお墓がある。いつものように、お線香を焚き、花立のお水を換えて水鉢も満たす。榊の葉を一枚残した小枝でお水を手向け、手を合わせた。母は、四十年前に祖父が亡くなってお墓が建ってからというもの、月命日のお墓参りを欠かしたことはなかった。偶然にも祖父母の月命日は同じなので(母は『おばあちゃんの不思議な力だよ』と信じてる)、月に一度、スクーターでこの日と同じ道のりを行くのだった。父もそれを承知していたので、たまに母が忘れていると『お墓参りに行かんだか?』というメッセージ?をこめてお墓参りのお水やお線香の入ったバックをさりげなく玄関の上がり端に置いてくれていたのだという、

 車に戻ると、みかんの段々畑には一面に白い花が咲き揃い、青い酸味で引き締めた甘い香りにみちていた。谷を挟んだ北側の山々は、尉ヶ峰に通じる末端に位置している。今は椎の花がこんもりと尾根を包み、地形図の等高線がもう一本引かれても良さそうな具合である。母は、尉ヶ峰の西側のピークからパラグライダーが滑空しているのを見つけ、頑張ってスマホカメラにおさめた。ボンヤリとした塵ほどのそれではあったが、なんとか撮れたのを嬉しそうに(目一杯拡大して)私にも見せてくれた。

 亡くなった祖母は元気だった頃、毎日のように歩いていたのだが、なんと麓の大谷の家からオレンジロードにでて、引佐峠までの道のりを往復していたのだという。他にも同じように歩く人は居たらしいが、めいめいが好きなときに自分のペースで歩いていたらしい。祖母は三ヶ日の家で母と私にその事を話しながら、『三人が必ず通る場所の、峠の上り口に岩があってね、そこに石を置いて(私が行ったよという)目印にしたの』。そう言った時に、祖母が目印の石を置く仕草をしたのを、私は今も覚えている。

引佐峠の向こうには、祖母の生まれた地、西気賀の風景がみえる。浜名湖の入り江から迫りあがる山の間に点在する家々。祖母は、峠に佇んで生まれ育った故郷を眺めたことだろう。近いように、遠いようにも。



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