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相思鳥

季節は遡るが、折に触れて思い出すことがひとつある。
 七年前の冬-十二月初旬頃であったと思うが、小雪がちらつく寒い日の午後、私と母は何故か思い立って姫街道(旧道)歩きに出掛けた。母は何らかの被写体を見つけた時のためにとカメラを持参していたが、大抵は何も持ってない時に限って撮りたいものが現れるといった具合なので、この日は撮れ高ゼロだろうと、私は密かに踏んでいた。
 歩くところは、隣の細江町西気賀の天浜線駅から旧姫街道に入り、東に山の鞍部を乗っ越した先にある小森地区まで行って戻ってくるという道順で、大方は車道が占めていた。
 西気賀駅を出発点にアップダウンの道を小森地区まで歩き、元来た道を引き返す。尾根の鞍部の西気賀側、山の斜面を水平に巻く道の辺りはその昔、「小引佐」と呼ばれていた。奥浜名湖の変化に富んだ半島の地形を望む、姫街道の景勝地である。ここから車道と分かれて、石畳の坂道をくだる。ミカン畑の間を縫うように、やがて小さな谷を回り込むと、鬱蒼とした椎の森があたりを暗く覆い始めていた。石畳の階段が最後の左曲がりに差し掛かり、樹間の向こうに人家が見え始めたその時、母が椎の木の梢に何かを見つけた。言われて直ぐに上を見上げると、何とそこは鳥のねぐらと化していたのだった。暗いのでハッキリとは見えないが、黄色の羽根がチラチラと視界をよぎっていた。少なくとも百羽はいるようだ。母はすでにカメラを構えており、何の鳥かはとりあえず後回しにして、レンズの明るさをいっぱいにしてシャッターを押し続けた。
 家に帰ってカメラの画像を見てみると、黄色を基調にした地肌に赤や緑などの色があしらわれた鳥が写っていた。この鳥の名は「相思鳥(そうしちょう)」であると、母は教えてくれた。
 その時、一部始終を見ていた父は、何を思ったのか母の撮った相思鳥の画像をさっそく葉書にプリントアウトし始めた。その幾枚かを、父の友人や親戚などに宛てて送ったのである。
 今まで一度もそんな事をしたことの無かった父が、珍しい-でも、私は何も言わなかった。
 あれから1年後-父は病院の検査で発覚した思わぬ病に罹り、追うことも叶わぬままに逝ってしまったが、今も過ぎ去った季節のなかに蘇るのだ-母の撮った相思鳥を絵葉書にして送った父の、照れくさくも嬉しそうな面影が。

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