立ち食い蕎麦屋のバイトから始まってその後インドネシアに住み昨年帰国したサラリーマンの話 その19
血栓除去手術~卒倒~帰任決定
退院時に医師より、二週間の在宅療養を命じられ、在宅勤務を行う事となった。グループ親会社の方針は、「陰性が確認出来たら速やかに帰国」であったが、退院一週間後のPCR検査は未だ「陽性」、退院二週間後の検査も「陽性」、当分「陽性」判定が続く患者が多いと聞くので、こればかりは仕方がない。そもそもワタシが所属している会社はグループ親会社の方針に「従わない方針」であった。
コロナ感染、その後の後遺症、それ自体よりも深刻であったのは、点滴で腫れ上がった右手に、全く改善の兆しが見られない事であった。痛みは勿論の事、字を書くことすらままならない状況であったため、病院で診察を受けると蜂窩織炎(ほうかしきえん)との診断。抗生物質と塗り薬を処方されたが、インターネットで調べる限り、明らかに蜂窩織炎(ほうかしきえん)の症状とは異なる。
手の腫れは引かず、お箸を握る事すら困難なため、食事は全てスプーンとフォーク。熱々の味噌汁の入ったお椀を持った際、突然手に激痛が走り味噌汁を自分に手に浴びせてしまい火傷。それから熱い「汁物」は当分諦める事とした。(今でもトラウマで暑い味噌汁はマグカップで飲む。
ある日、手首に「しこり」が出来ている事に気付く。それは日に日に大きく固くなっていく。病院に行きその旨を告げると、血栓が疑われるという。最初の診断はなんだったのか。所詮インドネシアの医療レベルはそんなものかと落胆する。
血栓を溶かし、血流が改善する「血液サラサラ薬」なるものを処方され、二週間ほど様子を見るという事になったが、改善どころかしこりは大きく、そして固くなっていき、手の不自由さ(可動範囲の狭まり)も一層増して行く。
インドネシア人の医師は「日本に帰国して血栓除去手術」を勧める。
この時期、同僚駐在員は全員日本へ一時退避し、ワクチン接種を受けていた。コロナ感染したワタシはワクチン接種が出来ない、逆に強い抗体があるという「最強」の状態であったため、ジャカルタに残り一人駐在となっていた。そのためワタシが日本へ一時帰国した場合、駐在員が不在となり日常業務への支障は勿論の事、「サイン権限者」が不在となるため、日々の支払い業務がストップし、全く業務が遂行出来ない状況となってしまう。
そのため「日本に帰国して手術」は不可能。然しながら手の痛みは増し、さらに左手にも
血栓が出来てしまった様子。インドネシアで血栓除去手術を行うという選択しかなかった。
手術は全身麻酔で行うため、コロナ感染し肺炎が重症化したワタシは、事前に多くの検査を受け、手術の「ゴーサイン」を得る必要があるとの事。病院でCT、血液検査、MRI、PCR検査を受け、検査当日は帰宅。検査結果に問題が無ければ手術を受けられるというので、翌々日に再度通院し検査結果を聞く。
検査結果を見た「麻酔科医」が手術に難色を示す。やはり肺炎がまだ残っているので、全身麻酔は危険だと言う。大丈夫と言う執刀医と麻酔科医で話し合いが行われる事となり、ワタシは一旦外に出て待機となった。
1時間も経過した頃、やっとで呼び出され、結果的に手術は行われる事となった。医師より「家族は病院に待機しているか?」と聞かれ単身だと答えると、医師の表情が曇る。本来、全身麻酔は家族の待機無しでは行わないそうである。万が一の何かがあった場合は、病院のJapan Desk(日本人看護師が常駐)へ連絡をしてくれと依頼し、受け入れて貰った。
病室へ行き病衣に着替え、ベッドに横になり点滴を受ける。(また点滴か・・・)1時間ほど点滴を受け、手術室へ。手術室はとても寒く、恐さと相まって体が震える。10分後、麻酔科医が手術室へ入って来て「じゃ、いきますね」と言われ、何か口元に充てられて注射をされた気がするが、一瞬で意識が無くなったため、正確な記憶は無い。
目が覚めた時には手術は既に終了、黄色の消毒液?に濡れた右手と散った血が見えた。後日、医師より写真を見せて貰ったが、長さ1センチほどの大きな血栓であった。
その後病室へ戻り食事。インドネシアの国民食「ナシゴレン」。朝9時に病院へ来て、一切飲食が出来なかったので、とても美味しかった。午後5時半に退院。
その後、週に数回通院し経過観察、傷口が塞がった事を確認し、リハビリが始まった。マッサージ、ひたすら〇(マル)をノートに書く、そんな単調なリハビリを2週間続ける。次はスポンジボールを握る・離す、を繰り返し握力の回復を図り、図形や文字を書くというかなり地道なリハビリを続ける。
病院から、血栓の再発予防に「血液サラサラ薬」なる薬を処方され飲み続けていたある日、同僚との昼食中に突然意識を失い卒倒、緊急搬送された。処方されていた「血液サラサラ薬」の効果が強すぎて、低血圧状態となり意識を失った模様。病院で目が覚めたら、既に夜中の2時であった。
目の前で卒倒したワタシを見て、同僚は慌てて本社へ連絡。
これで本社社長が「もう彼は限界だろう、日本へ帰せ」と判断。
ワタシの帰任が急遽決定した。
血栓への懸念(所謂エコノミー症候群)があるため、医師からは「ファーストクラスでの帰国」の条件が出された。経費削減を常に要求する本社様も、さすがに即時オッケーであった。
二度目の駐在は、わずか4年と1か月で予期せず終了となってしまった。やっとで経営改善に成功し黒字化、「今年は行ける」という確信を持った2021年であったのに。
無念。