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立ち食い蕎麦屋のバイトから始まってその後インドネシアに住み昨年帰国したサラリーマンの話 その1

20歳から57歳までのワタシの人生

何故かふと思い立って
37年ほど前に住んでいた居た場所が見たくなって
免許取り立て、納車したてのバイクに乗って行ってみた

最近出来た相棒 「アカニン」

楽しい思い出も勿論あったが、この場所は住むとこじゃないな
そう思うほど嫌な思い出も多かった場所なのに
なぜか急に行ってみたくなった

ワタシはこの店でバイトをしていた

当時は個人経営の立ち食いそば屋さんでした

正確に言うと、この場所にあった立ち食い蕎麦屋で、朝5時から10時まで
バイトをしていた

仕送りは貰っていたが正直それだけではとても生活が出来ず、とにかく
バイトするなら「賄いつき」と決めていた
この立ち食い蕎麦屋はとても旨かった
まだお店があったら食べたいと期待して行ったのだが、さすがにもう・・・

当時のこの地域は、ハッキリ言ってガラも治安も悪かった
世間を騒がせた凄惨な事件が起こった地域だった
(だから場所名は言えない)

立ち食い蕎麦屋は、ガラの悪い客も少なくなかった
券売機も無い店だったので、蕎麦を食べ終えた後に
「お釣りはまだ?」と言った客がいた
食べる前に、おばさんのバイトに1万円を渡したのに
まだお釣りを貰ってないと

おばさんは「絶対にお金は受け取ってない」と言ったが
まあタチの悪い客で「アンタ盗ったでしょ」言い放った
お店の中が凍り付いた

すると
店長がその客に9千数百円の釣りを渡し、「二度と来るな」と言った
その客はニヤリと笑って、黙って店を出て行った
ろくなもんじゃねぇ

おばさんは泣きながら絶対に貰ってない、盗ってないと言い
店長は「わかってる」一言だけ言って、何も無かった様に仕事を続けた

なんだこの街は? なんだあの客は? 
この立ち食い蕎麦屋も店長も賄いも好きだったが、この事件があって
この店を辞めた この場所が大嫌いになったから

その頃ワタシは四畳半一間、風呂なしアパート

まだあった!
壁を塗っただけ あとは当時のまま

当時、大学受験は惨敗、唯一合格した飯田橋の大学の2部に通っていた
早く次のバイトを探さないとメシが食えない 焦る焦る
銭湯に行くお金なんて勿論ないので、冷たい水道水を洗面器に入れて
身体を拭いたり、キッチンのシンクに水を溜めて頭を洗っていた
(勿論給湯器なんてなかった)

次のバイトはお弁当屋さん
立ち食い蕎麦屋から歩いて10分程の場所だったので躊躇したが、当然バイトは駅近くに集中する訳で選択肢がない
ところがそのお弁当屋さんはまるで別の街かと思うようなエリアだった
こだわりの水で炊くご飯が美味しいと評判の店だった
近所に銀行や保険会社やオフィスビルがあったせいか、若くて素敵な女性客が多く、まだ若かったワタシは良くからかわれた
賄いも旨い、可愛い綺麗な女性客も多い、長く続けたかったが

なぜかバイト代の遅延が続き、辞めた

次はスーパーマーケット

誉め言葉しかない良いスーパーでした

この頃、色々あって大学を中退しようと思い、就職先を探していたところ
このスーパーの方に声を掛けて頂き、就職面接を受けて内定を頂いた
両親に大学中退するって言ったら、相当怒られるだろうな・・・
ところが全く反応は違って、むしろ働くことを応援する様な言葉を聞き
バカなワタシは、仕送りする事がどれだけ両親の重荷になっていたのか
初めて気付く事となった、いかに愚かだったか今思い出しても恥ずかしい 

ここから、ワタシの人生が予想もしない方向へ大きく舵を切り始めた

続きます