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我々は幸せなオタクだ(レディ・プレイヤー1感想)

見たか!!見ましたか!!見たよ!!!
もうこの幸せな映画は何なのだろうか。
私が今更言うまでもなく、あらゆる類いのオタクと、30~40代のこじらせた人々にはどっかんどっかん来ていると思います。

羞恥の通り○年来ネットゲーマーな自分としては、最早共感しかない。「オアシス」の中では、自分じゃない自分になれる、まさしく、役割を演じるというロールプレイングから始まる一連のゲームの歴史なわけです。

というかこれもうウルティマオンライン(今無料化になったみたいですよ…マジか)だろ、とずっと思っていました。この人、リチャード・ギャリオットやんけって…。

レディプレのいいところは、未来の話なのに、ネタが70~90年代というところ。我々おっさん世代にとっての懐かしさ、主人公たちの年代には、新しさがあるのでしょう。それにしても、デロリアンが出てきた瞬間、オェエエエーイとなるし、予告編でも出ていたので遠慮なく言いますが、ガンダムかっこよすぎだよガンダム。

我々30、40代世代というのは、オタクにとって厳しい時代だったのでは無いかと思います。

今みたいに誰もがスマホでゲームするような時代ではなく、漫画・ゲームというと、「オタク」というマイナスのイメージが何かとつきまとう。オタクだとバレればその時点で最下層。

ゲームやアニメに夢中になれば、現実を見ろと怒られる。まるで、それらが悪いもののように言われている時代でした。だから、それなりに隠していたと思います(集えばオープンでしたけどね…)。

でも、外で遊んでできた友達も、ゲームを介してできた友達も、同じ友達です。ゲームの中の世界は、確かに「ご飯が美味しい」場所ではないけれど、そこで体験した出来事は、決して嘘ではない。

我々はずっとそれを、本当は大きな声で言いたかったんですが、やっぱりどこか非現実世界を、後ろめたいものだと思い(思わされていて)、言えなかったんですよね。

それを堂々と、満を持して、スピルバーグが言ってくれたわけです。

ハイファイブは、ゲームと出会った喜びと楽しみと感動を守る為に、立ち上がりました。それはゲーム内だけでなく、現実世界でも同じ。彼らは最後、開発側に回ってしまう=つまり、プレイヤーとしての感動はもう、できなくなってしまうのだろうけれど、彼らが、幸せなオタクであった経験は、きっと、他のプレイヤーに感動を与えるのだろう、という素敵な未来が見える結末でした。

オタクだって、人のために役立てるし、オタクだからこそ、人を喜ばせることができるのだ、そんな幸せな結末を、我々オタクが、今見ることができたということは、本当に幸福なことだと思います。

我々オタクは、幸せなオタクなのです。

#レディプレイヤー1 #映画



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