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焦り過ぎていたことに気付いた20代

去年2023年、テーマが「一致感」でした。

それは、佐山瑞樹という人間。
二休という会社。
ヒミツキチという店。
空汎としての僧。

生活から仕事、専門分野から価値観。
これらの「一致感」を整える1年だったと言っても過言ではありせん。

去年、会得した密教(宿曜)占星術との出会いも大きかったと思います。

理想現実を、しっかり認識したからです。

理想というのは、手元に無いから理想なのであって、現実というのは、既に持っているもの。

無いものねだりが理想だったということを、認識しました。
これは、目的や目標が意味の無いものであると言っているのではなく、「努力の方向性」が正しいか正しくないかを認識することなのです。

間違った努力というのは、いつまで経っても思うような成果が上がらず、到達できない方向のことであると思ってます。
できれば多くの人が、この「努力の方向性」に対して、合っているのか?間違っていないか?悩むことになります。

かく言う僕もずっとその思いは心の内に秘めてきました。
「事業はこの方向で合ってるんだろうか?」
「仕事はこれでいいんだろうか?」
「もっと自分の才能が光る場所があるんじゃないか?」
「自分というキャラクターはこれでいいのか?」

それらを早く見つけることが、自分にとっての幸せや喜びに繋がることは間違いないのです。
本来、自分が生まれ持つ才能を発掘し、伸ばすことが大事だと、占星術を学んでから、それを見つけるきっかけを手に入れました。
間違った努力の方向は、かけた時間を巻き戻すこともできず、完全に無駄にはならずとも、無駄な時間を過ごしてしまったと思ってしまうことにはなるからです。

僕は自身にとっての「正しい方向性」を求めるばかりに、20代はやりたいことをやりつつも、精神面はブレッブレな人生だったようにも感じます。


他者に対して、話を合わせて、その度に相手が求める「佐山くん」で居ようとする。

会社を設立し、事業をスケールさせて行くためには、経営者としての「社長」で居ようとする。

施術家としての「先生」で居ようとする。

昔からの友人との間では、「佐山」で居ようとする。

師僧の元で学ぶ弟子としての「空汎坊」で居ようとする。(いや、これは大事)

目上の人、年下の人、それぞれに適応する「顔」を作り、相手が気に入ってくれるであろう自分であろうとしてきました。
それも、やりたく無いこともやれることで成長できる、もっと新しい自分を発掘したい、隠れた才能を引き出したい、そんな我欲から生まれたもので、早く早くと、ひたすらに焦っていました。

ただ、ふと気が付いて。
僕が毎年掲げている目標は、誰が為の目標なんだろうか?
大きいことを言うことで、興味を持ってくれる大人がいる。
その為に「今じゃない」と感覚的に思っていながらも、掲げていないだろうか?
と。

そんなことを、多方面の「顔」で色々やってきてしまったので、色んなところで「ズレ」が生じてくるのです。
よく言えば、適応能力とも言えるのでしょうが、これがブランディングをブレさせ、「努力の方向性」に迷う形となりました。


密教の世界でも「身口意の一致」は、とても重要視されており、在家の方にまで認知されるほどに有名ではありますが、果たして僕はできているのだろか?と疑問に思えたのです。

いや、できている訳がなく、ここを追究していく為に生涯修行を重ねていく訳ですから、僕みたいな半俗半僧みたいなものには遠く及ばない訳であります。

しかし、未熟過ぎると、出来ている出来ていない以前に疑問にすら思えないもので、その余裕すらが無かったのであります。

ただ寺で行ずることだけではなく、むしろ山を降り、俗世に戻った時こそが大変な修行である。
と、とある僧の方が書かれた本を読んで、常に寺に従事していない僕だからこそ、日常をもっと修行だと思って過ごさねばならないと思うようになれたのです。

それから2023年は「一致感」を大切に、僕個人のキャラクター、仕事内容、店の雰囲気、SNS、事業の方向性、付き合う人、諸々を整えていくことにしました。


まず始めたのは、不要なコミュニティからの脱却です。

価値観が違う人に触れることは大切ですが、同調することとは非なるもの。
その環境は、本当に僕の行きたいところに近い人達なのかを考えた時に、違うなと思いました。

そして、5〜6年程続けた、毎年や毎月の目標設定を辞めました。
というより、目標は持ち続けているのですが、型にハマった目標設定を辞めようと思ったのです。
僕にとっては多方面な目標ばかり増えて、上辺ばかりでまともな一兎を得られなくなってしまってたからです。
おかげで思考がシンプルに、クリアになりました。

無理な人付き合いを辞めることから始めたら、「人からどう見られるか」を変に気にすることが無くなりました。

整体の店のヒミツキチでは、作務衣を制服化することにしました。
僕は服の数を増やすのが好きではないので、そのまま私服化しています。

髪の色を黒から白にしたのも、長年の白髪染めからの脱却でもあります。
美容室に通う頻度は少なくなり、まばらな白髪が感じさせる貧乏臭さは髪が伸びても感じさせることが無くなり、ストレスから解放されました。

白髪にしたことによってのメリットも多く、逆に僕みたいな型破りから、仏教により興味を持っていただいたり、身長の低さゆえの目立たなさをカバーできたり、一度で相手に覚えてもらえるというインパクトも得られ、一石何鳥くらいな生活の質にもなっています。



こんな感じで、見た目も、経歴もなかなかに尖っているのに、何故か事業は広く普及させようとしてたんですよね。
フランチャイズやら店舗拡大やらと、質をある程度落として、誰でもできるような事業を展開しようと思ってしまっていました。

それは今の僕がやるべきことでは無かったんですよね。
僕がもっと突き抜けて、尖って、追従を許さないくらいになってからじゃないと、できないことであった、と。

向いてないことから焦って始めようとしていたことに、身の回りの断捨離を始め、習慣・環境に変化をつけたら、気付けました。


一気に規模を拡大するのは、今の僕がやるべきことではない。

今の僕がやるべきことを、今しっかり取り組むこと。

未来を向いて、未来を生きてる方が自分にとって進んでる感を感じ、周りからもチャレンジする人と評価されることで安心感を感じてしまっていたんだなと、しみじみ思ったのであります。

2023年はその思考や行動のズレを整理し、纏める一年だったな、と。


2024年になり、1ヶ月が経ちました。
密教(宿曜)占星術における旧暦でも2024年に切り替わったところであります。


今年の僕のテーマは「密度を高める」。

施術における知識・技術はより一層研鑽し、今までのやり方を変革していく。
「日々修行」を心がけ、日頃の生活から僧としての行いに努める。
事業・会社においては、質を落として広く浅くでは無く、とにかく尖る、刺さる、ズバ抜けるを意識した店作り、サービス作り。
(ゆくゆくは質を維持できるレベルで広げられる土壌作り)

もちろん、僕の目指すところはずっと、日本の枠を出た世界であり、その心は知らない世界を知りたいという好奇心が根底です。

未来思考はあくまで持ち合わせながらも、しっかり「今この瞬間」を生きようと思います。

サポートはいつでもお待ちしております!