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2022年

 もうすぐ2022年が終わりますね。わたしの1年のハイライトです。

1月
 デルタ株にまあまあびびってた。新年初仕事のギャラは今もまだ入らない。その原稿はおそらく世にも出ていない。
2月
 母の手術でトラブル。ここから右目が悪化。その1週間後に取材で濃厚接触者になり、丸1週間部屋から出られなくなる。犬猫に会えないことと、ずっと座ってばかりでお尻が痛いのがきつかった。
3月
 新規のお仕事が決まり、仕事も忙しく充実していたところ、右足の小指を骨折。2ヶ月以上地獄の日々が続く。
4月
 骨折でドン引きされたり、優しくされたりなどする。4月なのに珍しく忙しかった。猫がごはんをあまり食べなくなる。
5月
 骨折でフェス。ワクチン3回目でかなり重めの副反応。猫の具合がさらに悪くなる。
6月
 猫が15歳5ヶ月で他界する。わたしの専門学校入学のお祝いにうちに来た子。彼女が生きているうちにもっと売れたかった。死に目に会えなかった。あと10分早く帰れていれば良かった。
7月
 猫の死で無気力。仕事もゆったりめ。
8月
 フェスのために23年ぶりにリュックを買った。買ったら買ったでちょこちょこリュックを使うようになった。
9月
 前月末から引き続き忙しい日が続く。思い切って高級オフィスチェアの購入に踏み切る。
10月
 9月より忙しい。
11月
 10月より忙しい。3月から始まった新規のお仕事が、9月から来ていないことに気付いた。向いていると思うと言われて声を掛けられたお仕事だったのに。向いていなかったのか。
12月
 3ヶ月の激務の反動もあって、かなりゆったりと過ごす。緊張の糸が切れてそのまんまなのかもしれない。わたしにしては映画をよく観た月だった。

 なんだかうれしいときと悲しいときの差が激しい1年だった。やはり猫の死は大きい。ふとした瞬間に抱っこがしたいな、撫でたいな、でもできないなとさみしくなる。今もこれを打ちながら涙がこぼれてくる。
 犬が死んだときと同じように、noteで彼女との日々を記録しようと何度も思っても、どうしてもできなかった。犬の死のときは「悲しい」という感情がパッションを生んでいたから書けたけれど、猫の死でおとずれたのは「寂しい」という虚無感だった。寂しさはパワーを蝕んでいくのだと思った。
 5月のわたしの誕生日に、「仕事も安定していて、母と犬と猫がいる。この生活がずっと続いてくれればいいのに」と思った。その2日後に、猫の命が危ういことを知った。ずっと続くなんて不可能なんだと打ちひしがれた。
 猫は死ぬまでの1ヶ月間、ほぼずっと俯いていて顔を見ることができなかった。でも生きていてくれるだけで、ごはんを食べてくれるだけでうれしかった。でも身体を動かすのがつらくて、思い通りに動けないことにいらいらする彼女を見ているのは、やっぱりつらかった。
 猫は、死んでしまった犬と猫のことが好きだった。一緒に暮らしていた仲間が立て続けに死んで、彼女もとても寂しかったと思う。今わたしが抱えている寂しさと似た色の感情を、彼女も抱いていたのかもしれない。
 いまだにTwitterのプロフィールに記載している「犬猫飼い独身」から、「猫」の文字を取ることができない。わたしは彼女の死を今もどこか受け入れられていないのだと思う。

 2023年は引き続き身体に気をつけつつ、公私ともにもう少しいろんな人と会えたらいいなと思う。もっと原稿を書くという行為を呼吸と同等にできるといい。あとは免許を取りたいし、犬を連れてもっといろんなところに出掛けたいし、もっといろんなところで書けるようになりたい。
 もっとワンタンマガジンを更新したいし、エッセイ的なものやプロットだけ立てて書いていない小説ももっと趣味として進めていきたい。また筋トレを再開して、お腹周りのお肉をどうにかして5年前に着ていた服を着たい。
 来年はわたしの人生においても節目の年になる。どうせひとりぼっちだし、もっと素敵な大人になれるように、自分のためにマックスで力を注ぎたいなと思う。

 というわけで2022年もありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えくださいませ。

最後までお読みいただきありがとうございます。