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「また」を信じて願うこと

 「人はいつどうなるかわからないから、会いたい人には会えるうちに会っておこう」という台詞がある。わたしもそれを、震災の時に強く思った。だから積極的に会える人には会ってきていた。

 だけど30過ぎたあたりから、実際にいろんな「終わり」を迎えるようになり、いつ来るかわからない終わりを考えることがつらく、悲しくなってきた。そしたら「またね」という言葉が好きになった。またの機会があることを信じるように、強く願うようになった。

 もちろん叶わなくなった「また」もたくさんあるけれど、その「また」が叶えられるように精一杯生きたいと思うようになったことは、自分にとって大きな転機だった。そこから「いつ死んでも構わない」という考えは消えた。

 今月の頭に死んでしまったマルチーズの小雪も、先月の頭に死んでしまった大型犬の球虎も、最期までずっと当たり前のように生きていた。ごはんが食べられなくなっても、水を飲めなくなっても、生きることを諦めなかった。

 小雪も球虎も、またおいしいごはんが食べたかっただろうし、またわたしたち家族と一緒に出掛けたり遊んだりしたかっただろう。「また」という願いが、2匹を生かしたのだと思う。「こんなに生きようとしているのにもうすぐ死んでしまうなんて」というやりきれなさで胸が張り裂けそうだったし、痛烈な寂しさは今も強く胸のなかにあるが、最後まで生きようとした2匹はとても美しいと思う。

 また会いたい人がたくさんいて、またやりたいことがたくさんある。まだやっていないことも山ほどあるし、まだ出会いたい人もたくさんいる。永遠なんてものはないし、いつか必ず終わりは来るけれど、生きることだけを考えて、抱えきれないくらいたくさんの「初めて」と「また」を貪欲に追い続けたい。

最後までお読みいただきありがとうございます。