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好きなものの話は大切にしまいこむ

職場の雑談で、好きなものや推しについて話すことってよくあったけれど、いつのころからか、そういうのがすごく難しくなった気がする。

推しの話をして、その後なぜか、別の方向から聞こえよがしに推しをくさすしたり、「ああいうののファンになること自体が云々」、逆に「語られたくない」みたいな人が出現するようになった。

私個人が疎まれているのならわかる。
うざいんだなって。
でも、私以外のことでもちょくちょく同じ場面に出くわすようになった。

推しだけでなく、持ち物、服装、休みの日の過ごし方…
忙しい業界だったけれど、雑談ができないくらいに厳しいわけでもなかったので、それが理由ではない気がする。
誰かの「好き」を否定すること、「同じではない」とマウントを取ることで自分を表現する人がいるというのは大きな学びだった。

雇用形態関係なく、競争で社内ポジションを獲得するという業界だったので、割と殺伐としていたかもしれない。
同じレベルと認めた人には優しく、そうでない人は徹底的に排除される感じ。

「好き」で雑談できなくなると、何となく話題の中心は誰かの噂話になるようだ。昨日聞いた噂が今日聞くと2割増しに誇張され、人を介す度に主観が入り、なんでもない話が誰かを傷つける斧になっていて眩暈がしたこともある。

よくそんな一部分だけを切り取ったね。
え?そんな話だった??

噂話として語られる内容は、噂だからこそ強力で巻き込まれた人は反論しようがない。

チーム力を高めるために雑談を!とか推奨されていたけれど、噂話は興味ないのでなんとなーく距離を置いて混じらず、「本当の好き」は隠す方が良いと学んでしまった。

好きなものを好きでいるために、口を閉ざす。
悲しいけれど、それもまた自分を守る一つの手段。

そして、だからこそNoteを続ける。
好きなものを好きと、推しのすばらしさを寿ぐために。


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