主語の大きさについて考える(深夜の放流)
よく、主語を大きくして(一般化して)語る人には気を付けたほうがいいと言いますよね。
確かに確かに。
あと、他人の意見を拠り所にして話を進めようとする人とかも。
うっかり同調したら足元をすくわれてしまう。
それはそう。気をつけなきゃ。
でも、一つ良いなと思ったことは、どうにもならない理不尽だけど従わざるを得ないことは、主語や属性を大きくすると自分の気持ちが多少紛れるということ。
「どうなってるんだよ、この世界は」とか。
「地球で生きるのって難しい」とか。
変なことを言ってくる同僚には、「何この生命体?」とか。
属性を小さくして愚痴を言うとちょっと角が立ちすぎてともすればハラスメント認定されてしまうから、うっかり心の中が出ないように、主語や属性も大きくして心の中で毒づく。
「めまいで仕事できないっていうから代わりに対応してるのに、あのホモサピエンス、ずっとスマホいじってやがる…まじあり得ない、ホモサピエンス。」
…あのホモサピエンス、仕事をしないことに関する自己主張、すごかったな…。代わりに私、めちゃくちゃ仕事をしたよ。ホモサピエンス。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?