「ミッシング」主演:石原さとみ(映画鑑賞備忘録)
タイトル:「ミッシング」
公開:2024年 日本
監督:吉田恵輔
主演:石原さとみ、青木崇高
2024年5月公開の作品がもうNetflixで見られるなんて。早い。
公開時から気になっていたけれど、娘が誘拐されてからの家族の話ということでこれはつらすぎると思い、躊躇していた作品。
最初、石原さとみさんという存在感がちらつき、「娘を探す母親」を演じる石原さんを見ていた。
物語が進むにつれ、周りとの熱量の差に傷つき、次第に言動に整合性が取れなくなり、腫物になっていく様子が痛々しかった。
正気と狂気が交差する中でなんとか自分を保とうとする母親の姿を見続けるうちに、石原さとみさんという存在は消えていた。
オロオロしながら、間違っていても止まれない、娘との距離を少しでも保っていたいという藁をもすがる母親の姿を見た。
娘が失踪する前、最後に一緒にいた主人公の実弟のひたすら怪しい感じが怖かった。いわれなき疑いを四方から投げつけられ、一度植え付けられた怪しいという印象は人の目を濁らせるのだと痛感した。
弟役の森 優作さんのいい意味で普通に紛れる感じがすごくて、きっとこの俳優さんはすごくいい人からサイコパスまで演じられる人なんだろうと思った。一見、無垢な印象が視線の動かし方でだれよりも怪しくなる感じがすごかった。
夫の合理的・俯瞰的に物事を見ることで冷静さを保とうとする様子がひしひしと伝わってきた。
そして、妻の側からするとそれが物足りなく、娘を失踪と言う形で失った無言の非難に受け取られる。
娘を探すという同じ目的を持ちつつ、不安定になっていく妻や生活を支えるため感情を押し殺し日常も続けようとする張りつめたものを感じた。
最後の涙を見た瞬間、見ている私もようやく彼と言う人の苦しみを少し見たような気がした。
何か問題が起こったとき、当事者がたとえ「同じ熱量」をもって解決にあたっていたとしても、「熱」の表し方が違うことが誤解を生み、大きな溝を作ることになる。
気持ちの表し方が控えめだったり、言葉を紡ぐのが苦手だったり。
そういう表現が不得意な人を慮る余裕のない状態って恐ろしい。
そして、表現が得意な人であっても受け取る側に悪意があったり受け取るのが苦手な場合、それもまた問題があらぬ方向に大きく重くなる。
溢れる情報をどう受け取るか、すごく高等な技能で少し途方に暮れた。
人は油断するし間違える。嘘もつく。
ずっと「正しい人」なんていない。
そもそも「正しさ」なんて絶対的指標はないのだから。
そういうことを頭で考えていても、目先の情報に飛びついてしまう愚かな自分。
物語の後半、刑事さんの「切羽詰まると自分がついた嘘にも縋りつきたくなる」という言葉にすべての気持ちを持っていかれた。
嘘に希望を見る、嘘にすがるって。
ある。
私にはある。
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