「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」第2話(ドラマ鑑賞備忘録)
脚本が欲しい。脚本集が読みたい。
原作エッセイの核となる大切な部分と、エッセイには書かれていなかった情景が脚本と映像で補完されて、親友マルチも、父・耕助も登場してフィクションが入っているのに、リアルな世界にすっと迷い込んだ気持ちになる。
エッセイの中では、主人公がなぜクラスで少し浮いているのか、友達がいないのか、理由は書いてあったけれど「そうなのかぁ」と言う理解でしかなかった。
ドラマになった七実を見て、原作者の岸田さんとイコールではないけれど、「…これは、浮くかもしれない」とリアルに感じられた。
七実は話をしているとき、会話をしているのにすっと自分の世界に入って相手が置いて行かれたようにぽつんとする感じ、手がふわふわして揺れているところ。女子グループ独特の空気はなんとなく読めるのに、そこに流されない(流せない)ところ。ついつい他人を「観察」してしまうところ。
記憶の中の、クラスで浮いていた女子(私を含む)の特徴が存分に描かれていて、見ていてつらい。
第1話に続き、やっぱりつらい。
渦中にいると言語化しづらい「違和感」。
特に、何がどうと言えない「ちょっと違う」感じを持たれると、学校という閉塞空間で生きるのは厳しい。
ドラマの中で、マルチや先生がいてくれて本当に良かった。
ドラマだからこその救いだ。
そして、やたらとかっこいい父・耕助が全然かっこよいオーラがなくて「死んだ父」として存在してヘラヘラ笑っていることへの違和感のなさ。
文字上で「ちょっとこれは大変なばーちゃんかも…」と思っていたばーちゃんも、ドライだけど人間味が溢れていて、「大変な人」から「大変ファンキーな人」に印象が変わった。
草太くんの自然すぎる一挙手一投足、母・ひとみの外見に頓着しなくなり目から光が亡くなっていく様子、ずっと凝視。
サブタイトルにある「家族って、めんどくさくて愛おしい」に作り手の真心が詰まっている気がした。
来週も楽しみ。
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