(劇評)『劇処』その動きの必死

この文章は、2016年11月19日(土)19:00開演の金沢舞踏館『ふいご少年と煙玉少女』についての劇評です。

 金沢舞踏館の『ふいご少年と煙玉少女』は、土方巽の没後30年を記念して作られた。土方の著書『病める舞姫』が原典となっている。演出は白榊ケイ、振付は山本萌と白榊ケイが担った。

 舞踏とは、制限された中での動きだと思っていた。欧米人の、クラシックバレエに代表されるような、長い手足を使い上へと飛翔するダンスとは違う。日本人の短い手足が、必死で地面を踏みつける、下へ向かう動き。重力に逆らえない、地に生きることを運命づけられた民族の心。都会から搾取されるばかりの、地方の苦しみ。土方巽が経験した日本の歴史から生まれた、悲哀が詰まっているのだと想像していた。
 しかし、『ふいご少年と煙玉少女』には、想像していた悲しさはなかった。どんな表現が繰り出されるのか、終始興味を持って観た。それはなぜか。少年と少女が少しずつ、舞踏の表現へと身を委ねていく過程の、若々しさがあった。舞踏の世界を知っていく、好奇心があった。子どもの遊び、古い家屋などに、今では失われてしまいそうな、懐かしさがあった。

 舞台の上手奥には古いタンスが、下手奥には、上に人が二人座れるくらいの、大きな木箱がある。中央では体に白をまとった5人がうずくまって、うごめいている。もぞもぞと、押しあい、押されて、自分の体を確認するように、ようやく立ち上がる。子どもが生まれる時間のようだ。動き出した彼らは鶏のようになったり、皆で「だるまさんが転んだ」をしてみたり、様々な姿に変容する。白塗りの顔に、白いシャツに黒の短パンという素朴な衣装。光と影の中で、誰が誰だかわからなくなる彼らは、特別な、個性的な存在ではない。誰でもが、無理なく、自分の体をそのままに、自然にそこにいる。

 照明の妙によって、薄暗さの中にほのかに彼らが浮かび上がる。光があれば影がある。影に溶け合うように舞台に立つ舞踏者たち。彼らは力強く舞台を踏みしめているが、光が揺らいで影が強くなれば、その存在は儚く消えてしまうかのように見えた。影の中には死のイメージが潜んでいる。誰もがその死からは逃げられない。 少年少女の頃から既に、死というものは体内に飼われているのだ。
 また、効果音と音楽が舞台に良い影響を及ぼしていた。音と舞踏者たちの動きがよく合っている。ドラマチックな音楽は、台詞のない踊りに少しの意味を与え、流れを助けていた。

 演出家と振付家のアフタートークによると、舞踏者の中には、まだ舞踏の体を獲得しきれていない者もいるようだ。私たちが普段見慣れない舞踏の体と動きよりも、彼らは少し、普遍的な体と動きに近いのであろう。それが見やすさの理由の一つであったのかもしれない。
 舞踏の体と心というものを、彼らはこれから深めていくのだろう。しかし、舞踏が生まれた頃と、現在では、体の作りも違えば環境も違う。その中で育まれる舞踏の心身とは、一体どのようなものになるのだろうか。
 現時点の私の中では、舞踏とは、制限から飛び立とうとする、必死の動きひとつひとつなのだと感じている。

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