(劇評)あるものからないものを
『おいしい おかしい おしばい わかったさんのクッキー』の劇評です。
2016年9月3日(土)15:00 金沢21世紀美術館シアター21
長い人気を誇る児童書『わかったさんのクッキー』が子どものためのプログラムとして舞台化された。台本と演出はチェルフィッチュの岡田利規、美術は現代美術家の金氏徹平、劇中歌をシンガーソングライターの前野健太が手掛ける。
会場に入ると、真ん中に円形の空間がある。その周りを3段になった座席が取り巻いている。座席にはクッキーの絵のかわいいシートが置いてある。円形空間には、たくさんの物達が置かれている。おもちゃのようにも見えるし、道具のようにも見える。オブジェだと言われたならそうだろう。
その物達の真ん中に、すっと自然に人物が登場した。緑の服を着ている。彼女は語り手のようだ。続いて、黄色と赤色の服を着た、主人公のわかったさんが登場する。緑の人の説明で、クリーニング店で働くわかったさんの仕事の流れがわかる。
置いてある物が、その時々で、物語を語るために必要な何かに変化する。大きなプラスチックの箱は、ひっくり返して車に。半円形の何かはハンドルに。ビニールのシートやスポンジは洗濯物に。様々な物を何かに見立てながら、わかったさんは、イネおばさん、画家のモジャさん、マノさんの奥さんらの家を回り、仕事をこなす。
クリーニング店に戻ったわかったさんは、衣類の中から鍵を見つけてしまう。お客様の私物が紛れ込むなど、あってはならないことだ。父親に叱られ、持ち主を探しに行くところから、わかったさんは不思議な世界に迷い込む。
その世界では、わかったさんはクッキーを作ることになる。モジャさんに似たロッカーらしき人物メジャさんが、ロッククッキーの歌を熱唱する。クッキー作りには鍵があるのだと、おばさんに似た鍵が言う。鍵の指導の通りに、わかったさんとマノさんの奥さんはロッククッキーを作っていく。多様な小物達を材料にして。
そこにないものを舞台上に登場させることが、演劇にはできる。この時必要とされるのは、何より、ないものをあるかのように見せる演者の技術と、観客の想像力だ。では、そこにあるものを使ってそこにないものを登場させるとするならば。これにも演者と観客の努力が必要だが、先に挙げた場合とは、少し違う回路が必要となる。演者の技術力はさることながら、観客の想像力がより問われるのではないだろうか。
進むクッキー作りを観ながら思う。でも、子どもの頃、そこに必要だけども足りない材料は、何か別のおもちゃで代用していたような気がする。例えば積み木が料理の材料になったり。あるものに、別の何かを見出すこと。それが得意なのは、子どもの方かもしれない。見えるものそのものに捉われて、別の方向性を見出せないのは、大人の方かもしれない。ならばこの劇はれっきとした「子ども向き」なのだ。
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