健康な食生活

ずっと19世紀の代替医療について調べている。色々な物が引っかかってくるが、見過ごされている割に重要だと思うのは19世紀前半アメリカのポピュラーヘルス運動だ。 ポピュラー ヘルス運動の推進者の一人にグラハムがいる。グラハムはグラハムクラッカーに名を残しているように、白いパンよりも全粒粉のパンの方が良い。肉食よりも植物食の方が良い、酒はもちろんコーヒーも紅茶も飲まず、スパイスも使わない健康な食生活を推奨した 。こうした食生活は多くの知識人の心をとらえた。科学と実験と改良の時代にふさわしく、菜食主義を採用したいと考えた人たちは自分たちを実験台にする形で食生活改良に取り組んだという。現在私たちが抱く健康的な食生活のイメージはこの時代のこうした取り組みに基づいている。多くの人たちが選んできたため、科学的な検証も繰り返し行われ、より安全で問題の少ない形に磨き上げあられてきた。
ただ、その主張や、代々伝えられてきた「神話」については事情がちょっと違う。
19世紀前半の人であることからわかるように、グラハムや禁酒主義、菜食主義の人々のすすめる「健康的な食生活」は栄養学を下敷きにしたものではないし、清教徒特有の禁欲主義に基づいたものであったことは知っていたほうがよいだろう。
説教師であったグラハムにとって「楽しみ」はすべて罪だった。素材の美味しさを神に感謝して味わうことを勧めているというよりも、まずくて食欲が進まない食事だから、良い食事だったのだ。また知識人中心だった菜食主義者が肉食は野蛮だと見下したキャンペーンを繰り広げたことも覚えておきたい。 現代の疫学研究を参照する場合にも、対照となっている人たちの食生活が「日本の食事」とは大きく異なっていることも気に留める必要がある。

もう一つ気になっているのが、「快楽」の中毒性に対する「禁欲」の中毒性だ。
私たちの脳は糖分を摂取すると幸福感を感じると説かれれば、納得しがちだが、人間の心理は複雑だ。糖分で感じる幸福感に素直に浸る人ばかりではない。グラハムと彼の信者たちのように、食べて幸福感を味わった自分に嫌悪感を抱くことだってある。その結果、食べることが困難になってしまったり、逆に食べないことに強いこだわりを持つ人ようになる人も出てくる。もともとあった心の苦しみをこだわりの強い食生活で表現してしまう人もいる。

様々な精神障害の中で摂食障害は最も治りにくいものの一つだという。精神の回復に必要な肉体の健康がこだわりの強い食生活で崩れてしまうからだろう。体調が悪くなっても食欲をコントロールしているという達成感の方が大事になって、カロリーが少ない食事をとり続けたり、食べない期間が続く。身体がもう持たない状態になる寸前で食欲がコントロール出来なくなり、過食-嘔吐のサイクルに入ってしまうことも多いらしい。

最近ずっと頭を離れないのは、王子シッタルダが、苦行と断食をやめスジャータの差し出した乳粥を口にしてそれから悟りを開いたという仏教のあの話だ。食事は大切だ。だが、食べることの喜びもすごく大切だ。

願わくば、食べることが宗教的な修行にならないようにしたい。苦しみに耐えることが崇高なのではなく、苦しみから救われることが信仰の目的なのだとする教えは、たぶん仏教にもキリスト教にも共通している。私たちは宗教指導者になる必要はなく、様々な楽しみの織りなす幸せを味わいつつ生きている世俗の民なのだ。そういう暮らしこそが幸せな暮らしなのだということは、19世紀からの時間の中で心理学が明らかにしてきたことでもある。


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