いいこと、って?
004
三浦春馬さんが亡くなった。
衝撃だった、本気でデマだと思ったし、デマであってほしかった。
ミュージカル『kinky boots』でのドラァグクイーン役は本当に素晴らしかった。とても三浦春馬さんには見えなかった。お芝居はもちろん、歌もダンスも素晴らしかったし、本当に、ドラァグクイーンだった。
あんっっっなに人に必要とされるお仕事をしていて、ファンもたくさんいて、ファン以外の一般層からも評判良かったはずの彼でも、自ら命を断ってしまうくらい、逃げられない辛いことがあったのだ。
本当に人間、なにを抱えているかわからない。
高校生の頃アメブロが流行って、定期的に書いていた時期があった。
その時に、こんなことを書いた覚えがある。
「あ〜なんかいいことないかな〜」
と言う人がよくいるけど、そういう人は、目の前の"いいこと"が見えていない気がする。
今日食べたご飯は美味しかったでしょ?
学校で友達と話して楽しかったでしょ?
それって、"いいこと"なんじゃない?
高校生ながら、だいぶピリついた物言いである。
当時のわたしの座右の銘が、「幸せとはなるものではなく、既にそうあることに気づくこと」だったので、そういうようなことを伝えたかったんだと思う。
これを投稿したとき、この考えに納得して、コメントしてくれたり、翌日この話をしてくれた友達がいた。
だから私は調子に乗って、学生時代はずっとこの精神で生きてきた。
しかし、今のわたしは、「いいことないかな〜」という友人がいても、この時のようなことはとても言えない。
正直、座右の銘は変わっていない。
今でも、足元のちっちゃな幸せをありがたく噛み締める生き方をしていると思う。
でもわたしも大人になって、
みんながみんなそうではないと気づいたのだ。
今日ご飯美味しかったでしょ?
今日同期と話して楽しかったでしょ?
なんて言ったところで、それを上回る大きな悲しいことがあったかもしれないし、ずっと何か大きいことで悩んでいるかもしれない。
大人はそういうのを隠しながらでも生きていける。
だからこそ、「いいことないかな〜」と言う人を、平凡な毎日を生きている人、と決めつけてはいけないのだ。
毎日が辛くて、悲しくて悔しくて、いっそ全部やめてしまおうかと思う日だってあって、
そんな中で、息抜きにと会った友人たちの話を聞いて、羨ましくて、「わたしにもいいことないかな〜」 と言ったとして、
そんな人に、「今この瞬間楽しいじゃん、これっていいことじゃん」なんて、とても言えない。
もちろん大人に限らず、学生時代だってそういう大きな悲しみを抱えていた人はいたはずだ。若いなりの悩みも多いだろう。
そのことに気がつくのが、わたしは遅すぎた。自分の学生時代の毎日が幸せすぎるものだったから、みんなもきっとそうだと思い込んでいたのだ。
当時のわたしの投稿に、傷ついた友達がいないといいな……
生きてるだけでお金はかかるし、楽しいことと同じくらい悲しいことや辛いこともたくさんある。
でもそれが人生さ!と顔を上げて歩いていければいいが、そんな気分になれないときもある。本当にある。楽になりたいという思いがよぎることだってある。きっと全員にある。
芸能人に限らず、こういう自殺のニュースがあると「誰か頼れる人はいなかったのか」という声が必ずあがる。
きっといたと思う。
でも、その頼れる人の力不足とかそんなんじゃなく、本当に、誰が隣にいたって誰が励ましてくれたって誰が慰めてくれたって、どうしようもない時があるんだと思う。
最近、自殺を否定できない。
生きたくても生きられなかった人だっているんだからとか、そういう、命についての綺麗事なんかいくつでも並べられるが、
本当に辛くて、どうしようもなくて、残された精一杯の勇気を振り絞って、死をもってその苦しさから逃げ出した人(逃げ出せた人)に向かって、「何で誰かに相談しなかったんだ」とか「死ぬのだけはダメだ」とか、言えるだろうか。
生きていればいいことがある、
そんな保証がどこにあるのか。
でも、自ら命を絶ってしまった人に向かってそうは言えないが、いま生きている人には大きな声で言ってしまうと思う。
生きてさえいれば、って言ってしまうと思う、し、言いたい。絶対に救いたい。
そして、みんな大変な思いをして、それでも笑って生きているんだから、全人類に優しくありたい。
みんな既に、本当に頑張っている。
さて、"いいこと"って、なんだろう。
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